『飛翔』を何度も聴いた

2008年12月10日 20:12:25


劇団再生の公演。

衣装はロリータだったり、ゴスだったり、パンクだったり。
役どころ関係無し傍若無人独立独歩の野をいく。髪の毛もメイクも同じ。
医者の役だろうが、学生だろうが、船長だろうが、右翼だろうが、
患者だろうが、悪魔だろうが、全く関係なし。
劇団再生の荒野を行く。

こうやって、メイクをしていく。
小さな筆で一人ずつ描いていく。
全員を書くのに小一時間かかるだろうか。
本番前の大切な時間。

一人ずつ顔を見て、(みんな顔が違うんだな)と思いながら描いていく。
みんな顔が違うことに不思議を覚えて、描いていく。

小さなラジカセでシューマンの『飛翔』を聴き続けていた。
思い出深い曲。どれだけ練習してもうまく弾けなかった。
のっけからの右手の跳躍、そしてそれに続くアルペジオ。
左手もオクターブ以上の跳躍をする。

ピアノの先生についている頃。
これが最後の曲になった。
M音大を出られた自分より随分年下の先生だった。
今は、結婚されてイギリスにいる。

『飛翔』が最後の曲となった。
練習に練習を重ねたけれども、先生がイギリスに発つ前に、
最後まで弾くことができなかった。

歯噛みして一日うずくまる一日12月10日。


本番前の数時間。
どんな劇団よりも多くの時間を割いているだろう。
自分も音響としてたくさんの舞台についてきた。
けれども、本番前に俳優個人の時間をこれほどとっている劇団はなかった。
メイクをしたり、髪の毛をセットしたり、談笑したり、
腹ごしらえをしたり、寝たり、体と喉をあたためたり、
考えたり、考えなかったり。

本番前の数時間。
荒野にあらわれる一滴の水。

最初は、江古田の先生の自宅でのレッスンだった。
毎週通った。自宅からも近く(近い先生を探したのだが)毎週。
ある時、引越しをされて遠くなった。
幡ヶ谷という街。
電車で行くのはちょっとめんどう。
自然バイクで行く。
バイクで行くとすぐにレッスンにかかれない。
アクセルを握り、ブレーキをかけと、両手がこわばっている。
いつも1時間早く着くようにして、
レッスンまで近くのマクドナルドで読書をしていた。


数時間後にはお客さんでいっぱいになるはずの客席で、
メイクの仕上げをしたりする。

客席。阿佐ヶ谷ロフトというトークライブハウス。
本来の劇場ではない会場。
飲んだり食べたりできる会場。
独特の客席だ。

その頃は、舞台音楽の作曲をしていた。
いくつもの舞台で音楽を作っていた。
その相談も先生にしていた。こんな曲にしたいんです。
このシーンでピアノの音が欲しいんです。

先生は、相談にのってくれて、いくつかの曲を弾いてくれた。
その舞台音楽の相談だけでレッスン時間がなくなったこともある。
先生のアドバイスを受けて、
いくつものピアノ曲を書いた。

心強張らせ悪事の一つ一つを数える今日は12月10日。


その客席では、俳優同士で髪の毛をセットしあったりする。
「逆毛劇団」の異名通りに逆毛という逆毛を立てつくす。
髪の毛の本質を無視して立てつくす。それは、人間を創造した神への挑戦だ。
或いはダーウィン進化論を逸脱していく新たな進化。

そうだ。ずっと長い間作曲をしていた。
音楽を作ることが好きだった。友人ミッキーと一緒に作った。
分業だ。
一つの部屋でそれぞれの機材を前に仕上げていく。
ぼくは、鍵盤とレコーダー。ミッキーは、サンプラーを駆使していた。
実験的な試みをたくさんしてきた。
実験的な音の白眉は『天切り松闇語り』だろう。
サンプリングと生ピアノ。
今では全然珍しくない音。けれどもあの頃には斬新だったのではないか。

思い出した。ちょうどその舞台の作曲をしている頃、
気晴らしにベートーベンを弾いた。ミッキーがへらへらと「うまいねえ」と笑った。


そして、まさに本番前。
メイクをすませ、髪の毛を作り終え、衣装を完璧する。
ヘア&メイクの木下恭子さん、衣装のクラモチユキコさんがこの舞台のために完璧したそれを
本番前に入念に完璧する。

完全でなければならない。

完全であるが故に不完全が許されるのだ。
完璧であるが故に璧を完うできないことが許されるのだ。

ピアノという完全な楽器を操る先生は小さかった。
ゆーこちゃんくらいだったのではないか。
ゆーこちゃんは小さい。小さいけれども、大きい。
先生もそうだった。小さかったけれどもそのダイナミクスは凄かった。
fffの音も先生の音は違った。
どんなに力を込めて鍵盤を叩いても、先生のその迫力にかなわなかった。
力じゃないんですよ、と先生は言った。


そういえば、真夜中にこの会場にはいり、準備をしたんだ。
完全なそれを見るために劇団員と照明部の若林さんとさかい君。
真夜中。
立てた予定通りに準備を進める。
数時間後の本番のために眠ることを無視して。

毎週のレッスン。
きちんと自宅で練習できた週は楽しみに行った。
全然練習ができなかった週もたくさんあった。
そんな時には、やっぱり行くのが億劫になる。
練習箇所を暗譜さえしていない。
運指もおぼつかない。

でもレッスンには行った。
舞台の本番と重なる以外は行った。

今日、『飛翔』を聴いた。
懐かしく聴いた。
結局弾ききることができなかった『飛翔』


こんな美しい作業が他にあるだろうか。
完全の中にいながら不完全を居る。
時間を越えて完璧を居る。
真夜中の準備を終え、2回の本番を終えた。
あれから数十時間が過ぎた。遠い昔のお話。

終わったら終わるという当たり前のことを知る劇団再生。
時間の恐怖を知る劇団再生。
ぼくたちにどんな時間が流れているのかを考え続けている劇団再生。
取り戻せない時間。
手に入れ続ける時間。

そんな時間があった。
ピアノを集中していた時間があった。
あの完全な楽器を我が物にしたかった。
言葉と同等に音楽を手に入れたかった。
何曲も曲を書いてきた。
1000曲は越えているだろう。
作ってしまったらそれでおわり。
今、それらの音楽がどこにあるのかわからない。

舞台を観た誰かが、一曲でも覚えていてくれるか。
音楽を作ってきた時間があった。
手に入れようとしてきた時間。

先生はイギリスで音楽をしていると、きく。
爪の音が気になるのも、あの頃の感覚だ。
ピアノの鍵盤に爪が触れる音が気に障って仕方なかった。
今は、このキーボード。
高級なキーボードなんだろう。
官能としか言えないタイピング感触。

取り戻せない時間と手に入れる時間。

(写真撮影、上から5枚は平早勉さん)