田中義三さんの三回忌法要、見沢さんのお墓参り、そして野村秋介さんを思う12月21日2008年
2008年12月21日 22:42:07
2007年1月1日に亡くなられた田中義三さん。
その三回忌法要に参列してきた。
1970年のよど号ハイジャック事件、北朝鮮亡命、カンボジア、
タイ、偽ドル札偽造容疑、熊本、大阪・・・
田中義三さんを構成するキーワードはすぐにいくつも思いつく。
その心中を本当には想像することはできないだろうその人生を思う。
法要での講話を聴きながら、
彼の58年の人生を思う。どんな心中だったのだろう。
その心情とその行動の連絡性はいかなるものだったのだろう。
三回忌法要で手を合わせながら、やはり、
自身の人生を振り返る。
自分の人生が何年なのかは知らない。わからない。
けれども、その大半がすでに過ぎ去っただろう。
もしかしたら、そのほとんどをもう過ごしてきたのかもしれない。
あと、数日なのかもしれない。
あと、数ヶ月なのかもしれない。
あと、数年か。
何をしてきたのか。
田中さんの人生を思いながら、自身のあまりの何もなさにあたたかい12月21日。
いつだって最高の報いにですら
最低の恩返しもできない
シオンの声が聞こえる、12月、茗荷谷。
そうだ、昨日は見沢さんのお墓をお参りした。
稽古前の日暮れ前。
とてもいい天気だった。いつもどおりのいい天気。
この「見沢さんの墓参りは降られない」記録はいつまで続くのか。
晴れた日を選んで行ってはいない。
なんでだか、いつもいい天気。
行く前に見沢さんのお母さんと電話で話す。
来年のたくさんの楽しそうな企画について、少しずつ話を進める。
来年は、見沢さんの生誕50年。
劇団再生で一つの企画。そして、見沢さんの本も出るだろう。
46年の人生を走り抜けた見沢知廉。
死後も生き続けている、その存在。
死者には、かなわない、と言う、今日も、その言葉を聞いた。
冗談じゃない。
見沢さんに追いつこう。見沢さんと肩を並べて歩こう。
見沢さんを越えよう。見沢さんを、見沢さんを。
見沢さんの墓前で、次の脚本の話を、少しだけ、した。
見沢さんの墓前で聞こえたのは、日向川の音。
あれっ?何だろう?と思った。
最初は、風に揺れる葉音かと思った。そうじゃなかった。
あの音は、野村さんが眠る横を流れる日向川の音だ。
何故あの音が聞こえていたのか、わからない。
見沢さんが聞きたがっていたのかもしれない。
野村さんの墓前に佇むのは、「恋地蔵」と「闘い地蔵」
田中義三、見沢知廉、野村秋介。
三様の人生とそれぞれの存在。
墓前に見えるのは、彼岸と此岸のあっちとこっち。
なんのことはない、ぼくは、生きている。
ただそれだけだ。
残り時間を数えながら、
残りの日数を数えながら、
激しさが欲しい。
激しく、と。