見沢さんの夢を見た
2008年12月28日 23:26:08
見沢さんが出てくる夢をはじめて見た気がする。
たくさんの写真や文字や原稿や氏の書籍に触れていたにも関わらず、
初めて見た、気がする。
夢は毎日、見る。そのほとんどをかなりの確率で覚えている。
見た夢をスケッチしたり、メモしたりはしない。
大体、覚えている。
見沢知廉。彼が夢に登場した。
二人でピアノを弾きながら、話をした。
どこかステージの上のようだ。
観客はいない。ぼくは、イ短調のテーマを永遠に展開し続けていた。
(イ短調で展開しているな)と、思いながら弾いていた。
見沢さんは、それに合わせていたのか、そうではなかったのか、
ぽつぽつと弾いていた。話をした。
昨日の稽古を見た思いが強烈だったからなのか、
(見沢さんと話した内容を具体的に正確に覚えているわけではないけれど)
キーワードは、「否定」「知る」「知らされる」といったとこのよう。
人が人を否定するときのあのなんともおぞましい顔、表情。
ぼくはそれが何にもまして耐えられない。
どんなに美しい人でもどんなにきれいな人生でも、
一度その口から、「否定」の言葉が吐き出されると、どうにも我慢がならない。
おぞましい、ぞっとする、いとましい・・・
百年の恋どころか、目の前のその人が化け物に見える。
そんな話をした。
確かにそうだ。と言いつつ、ぼくも人を否定する。それを口にしてきた。
それは、見るに耐えないおぞましく嫌な顔をしていただろう。
見沢さんは、俺は、ないな、と言った。
ないな
それが、何を指していたのか、わからない。
そんな感情がないと言ったのか、
そんな経験がないと言ったのか、
否定したことがないと言ったのか、
否定されたことがないと言ったのか、それは、わからない、覚えていない。
見沢さんの夢を見た。
ステージの上か。ピアノを弾きながら、人間の一番おぞましい顔の話をした。
そして、知ることと、知らされることの幸不幸を話した。
やっぱりね、人は、知らなくてもいいことがあるんだよ。
見沢さんは、そう言った。
そうかもしれない。昨日の忘年会。予定の時間を大幅に延長し、お店のご好意で楽しく散会した。
地下の店から、真夜中の地上に出た。
劇団員のみんながいた。
みんなは、まだまだこれから一緒に飲んだりするようだった。
「帰るんですか?」と劇団員に言われた。
「帰るよ」と答えた。
バイクまでの十数メートルを歩いた。その途上、不意に、
全てを話したい衝動に駆られて、振り向いて、みんなを見た。
みんながそこにいた。
これまでの全部を話さなければいけないんじゃないかと、思った。振り返った。
劇団員に話してきたぼくのいろんな経験は、話すに足るものじゃない。
あれは、日常だ。
話さなければならないのは、本当のことだ。本当の罪だ。悪だ。裏切りだ。
話そう、そう思って、十数メートル先の真夜中の劇団員を、見た。
でも、話せなかった。バイクに乗り、帰宅した。
昨日の稽古を見て、話そうと思ったのか、或いは、来年の劇団のあり方を見据えてそう感じたのか、
それは、わからない。
見沢さんは、ピアノの前で話していた。
読書の話もした気がする。
そこに行きたい、と言った。来るな、と見沢さんが言った。
その本を読みたい、と言った。そこじゃ読めない、と見沢さんが言った。
その本を読みに、そこに行きたいと言った。
見沢さんがなんと答えたのか、覚えていない。
人は、知らないほうがいいことが、やっぱりあるんだよ。見沢さんの声。
悪意ある細胞は、じわじわと体内を蝕む。