見沢さんのお墓参りで長い長い時を過ごす

2009年3月15日 22:43:59

写真

見沢さんのお墓参りに行った。
いい天気だ。もう、ここで書くまでもなく、いい天気。
驚くほどの晴天。

井戸水を汲み上げ、
お墓をこれでもか、と磨き上げる。
ピカピカに磨き上げる。

以前、鈴木邦男さんがザクティを購入したときに、
その使い方を説明した。
その時に鈴木さんはザクティと一緒に、小さな三脚を持っていた。
一緒に購入されたらしい。
高さ15cmほどの三脚。

いいなあ、と思い、ぼくもすぐに購入していた。
けれども、使ったことがなかった。

今日、思いついて、使ってみた。
高さ15cmほどだから、こんなアングル。
周りの墓石の上に、と一瞬思ったけれども、
とてもじゃない、そりゃできない。

仕方なく地面付近から撮影。
セルフタイマーというのも初めて使ってみた。

写真

それにしてもいい天気だ。
鏡のように磨き上げられた墓石。
手を合わせ、見沢さんと話す。

今回の公演のことや、
自分のこと、
そして、見沢さんのお母さんのこと、
8月に企画している生誕記念のこと、

聞きたいことをこれでもか、とぶつける。
尾崎の「シェリー」みたいに、聞き続ける。

見沢さん、ぼくは間違っていませんか。
見沢さん、ぼくは恨まれていませんか。
見沢さん、ぼくはまっすぐに歩いていますか。
見沢さん、ぼくの言葉はどこかに届いていますか。
見沢さん、ぼくの目は何かを見ていますか。
見沢さん、

見沢さん、

写真

長い時間を墓前で過ごし、
いつものように喫煙場所で煙草に火をつける。
大きな木の下のベンチに座り、いい天気だなあ、と言ってみる。

足音。
てってってってっ。
子供の足音だ。

小さな女の子が墓所からやってきた。
ぼくの前にやってきた。

「ねぇねぇ、おひるでもたべにいこうよ」

と、言った。
4歳くらいの小さな女の子。
足は丸々とし、樫の木のようなまっすぐな足を持つには
あと数年はかかる。

「ねぇねぇ、おひるでもたべにいこうよ」

確かにそう言った。

「えっ? おひる?」そう聞き返した。

聞き返したところに、その子の両親が墓所から戻ってこられ、
ぼくに会釈をされた。

うーん、両親が来なければ、

そりゃ一緒にお昼に行くだろう。
その子が食べたいものを一緒に食べただろう。
その後は?
ほっとくわけにもいかない。
連れて歩くしかない。
稽古場に連れて行くか。

見沢さんと話したことをすっかり忘れ、
その子の衝撃の出現に頭を支配された。
それにしてもまっすぐな目だった。
無垢な目でまっすぐにぼくを見た。

「・・・おひるでも、」、その「でも」がしかし、問題だ。
「ごはんたべにいこうよ」、ならわかる。
「おひるでもたべにいこうよ」、か・・・