日本という質量・・・21-8 『時代がワズカニカワルヨカン』

2006年9月2日 20:44:39

8月15日が過ぎたとたん
靖国という単語を聞かなくなりました。
また、来年羽化し、蝉のように
短い生命を生きるでしょう、マスコミ。
特に朝日新聞。

さて、まもなく新しい総裁総理が決まります。
と、
10秒書くことを考えて、やめました。

本題。
再軍備について話していました。
戦争に勝った連合国(特にアメリカ)が
自国で朝鮮戦争を始めちゃったので
兵隊が足らないので、
日本兵隊増やせ命令を出して、
子供達の教育から戦争に行くような子供を育てろ!と
へそがお茶を沸かした話まででした。

さて、その後50年以上が経ちました。

どうですか、日本。
戦争に行きたがっている若者増えましたか?
日本を守るために命を投げ出す若者増えましたか?
武器の扱いに・・・・慣れてはいる、・・・かもしれません。
・・・・・
素人が拳銃を撃ちます。
スタンガンを入手します。
自分の拳の堅さを知らずに殴り殺します。
自分の子供を殴り殺します。
同級生を・・・
親を・・・・・

うん、50年です。60年です。

再度、三島の「激」から。
彼は、この一文を残して
自衛隊に希望を持っていた彼は、
市谷で、果てました。

『われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、
国の大本を忘れ、
国民精神を失ひ、
本を正さずして末に走り、
その場しのぎと偽善に陥り、
自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、
国家百年の体計は外国に委ね、
敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、
日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、
歯噛みをしながら見ていなければならなかった。』

『われわれは四年待った。
最後の一年は猛烈に待った。
もう待てぬ。
自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。
しかしあと三十分、最後の三十分待とう。
共に起って義のために共に死ぬのだ。』

『日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。
生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。
生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。
それは自由でも民主主義でもない。
日本だ。
われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。
これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。
もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。』

このまま平穏無事に人生を終えれば満足なのだろうか?
お金をたくさん貯めて、豊な暮らしができれば満足なのだろうか?
事件や事故が他人事ならばそれでよいのだろうか?

これ以上書くと、泣きます。

人格が破綻するほど、考えている。

まあ、いいか。
この部屋に入ることのできる人は
自分以外誰一人としていない。

疲れてるな。

哲学の夢を見ながら寝ます。
久しぶりに夢生成機のスウィッチをいれよう。