劇団再生の稽古場に巻き起こるそれらを体験することができるのは、劇団再生の劇団員だけなんだ
2009年6月26日 23:21:59
8月の公演に向けての稽古が始まっている。
週に4日。夕方になると三々五々稽古場に集まってくる劇団員。
「おはようございます」「おはよう」「やあ」「元気?」
劇団員は、稽古着に着替えをし、ぼくはパソコンをセッティングする。
音楽を流すためのパソコンだ。
劇団員が体を作り始める。声を作り始める。
ぼくは、音楽を流し、あちこちに手紙を書いたり、
中途になっている仕事をしたり、本を読んだり、お菓子を食べたりしている。
劇団再生の稽古場には、何があるのか。
そんなことはわからない。わからないけれども、何かが巻き起こる。
ぼくと年齢の違う彼らの姿を見ながら、思う。
もう何年演劇をしてきたのだろう。その経験年数は、一年を経るごとに一年増える。
だが、ただそれだけだ。
経験の年数が一蹴される稽古場。経験の数が笑い飛ばされる稽古場。
どれだけの経験をしてきても、
どれだけの未経験をしてきても、
同じだ。
ぼくは、と、考える。
演劇にあれもこれも奪われて、演劇の為にそれもこれも捨てて、
けれども、
演劇にあれもこれも教えられ、演劇のおかげでそれもこれも手に入れた。
なんのことはない。
無限の未経験。或いは、ゼロの経験値。同じだ。なんのことはない。
劇団再生の稽古場。そこに巻き起こるのは、それだ。
さあ、稽古場に行くか、と、真夜中に立ち上がる。
さあ、稽古場に行こう。