本当の画がある
2009年8月4日 23:05:34
大浦信行監督が撮っている映画の撮影現場を
うろちょろとしていた。
空き時間に大浦監督とたくさん話をした。
お互いおしゃべりといえばおしゃべりだ。
そして、そのおしゃべりのお互いが、
それぞれの仮説を積み上げながら、お互いを確認していく。
それは、芸術性への仮説であり、表現性への仮説であり、
一幅の画への仮説であり、作品を創るということの仮説であり。
大浦監督と話すといつもそうだ。
楽しくなってくる。言葉が近い。
本当の画がある。あるから、創る。曲げられない。
(ぼくは、間違っているのだろうか)と、思う隙のない画がある。
大浦監督の創る画が、(おこがましくも言わせてもらえれば)
わかる。本当だ。
そして、ぼくにも画がある。譲れない画がある。
あるから、創る。あるから、ここにいる。
撮影の現場は、それを捜し求め、静かに静かに
発狂していた。狂わねば撮れないんだ。
本当の画は、監督の頭の中に居座り、
ぼくの頭の中にどっかりと居座り、
それは、理由のない、そして根拠を示すことのできない
本当の画で、
理由がなく、根拠を示すことができないからこそ
本当の画で、
こんな夜か。
発狂しているのは、ぼくだ。
破壊せよ、と声が聞こえる。