無条件の画がある
2009年8月5日 23:43:23
大浦信行監督と撮影の辻智彦さん
発狂か。
確かにそうだ。静かに静かに、狂っている。
思いついて、画集を開いた。
その画集は例えば、フリーダ・カーロであるかもしれない。
或いは、また例えば、エゴン・シーレであるかもしれない。
そして、フリーダとレフ・トロツキーの密会を青の家に思い、
或いは、シーレの28年の生涯と自画像。
そうか、自画像だ。
自画像を嫌った作家もたくさんいる。クリムトなんかそうだ。
自画像を描くことで、全く作風が変わった作家もいる。
自画像を描いたことで、命を縮めた作家もいる。
自画像か、とシーレを追う。
20代前半という多感な時期にたくさんの顔を描いた。
自己に向き合うという残酷で難解で恐怖をともなう勇気。
シーレが鏡を使ってそれらを描いたようには思えない。
裸体、陰茎を握り締め自慰行為に耽る顔という顔。
そうだ、自画像か。
原宿のギャラリーで観たカラフルな自画像も目を背けたくなるほどの醜悪さをもっていた。
茅場町のギャラリーで観た挑発的なそれもそうだった。
原宿では、20代前半の女性がその裸体を惜しげもなくさらけ出し、
茅場町では、60歳の男性が日本を丸ごと抱きしめ、
自画像を描く。映画の撮影現場では、そこに向かって、
監督がカメラがライトが制作部が、そこに向かって。
狂わねば、言葉は書けない。狂わねば、人は斬れない。
狂わねば、時間を止められない。狂わねば。
大浦監督のほんとうの画が発狂する。