まあ、いいか、というと、コトバは、にゃーにゃー鳴いた

2009年8月15日 23:06:20

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「不可能は小心者の幻影であり、卑怯者の逃避所である」
と言ったのは、ナポレオンだ。なるほど、あんたらしいな、と思う。

炎天下、劇団再生野外特設稽古場で不意に思い出した。
ゲーテの言葉の数々。
太陽の奴にエネルギを奪われ、呼吸が速くなる中で、ゲーテが呟く。

「太陽が照れば、ちりも輝く。光の多いところでは、影も濃い」
「人間の過ちこそ人間を愛すべきものにする」

ぼくは、ゲーテを超えたいと思った。思っていた。
ゲーテを超えるとはどういうことか、と本気で考えた時期があった。
今はなきゲーテと、何かを競い争うことはできない。
けれども、間違いのない本能で、

ぼくは、ゲーテを超えたいと考えていた。
そして、今もその思考を抱えながら、まあ、いいか、と呟いてみる。

まあ、いいか、と言うと、コトバの奴は、いつも、
「お前はいつも、まあいいか、まあいいか、だな」と言う。

炎天下、劇団再生野外特設稽古場。
流れ落ちる汗に言葉をかける。まあ、いいか。

夏バテなのかなんなのか、食欲がない。
そりゃまあ、理性では、わかっている。
食べなさい、食べなさい、と。けれども、どうしても喉を通らない。
まあ、いいか、と思っていると、口の中にいろんなものが入ってきた。
枇杷ゼリーが入ってきて、まあ、いいか。
おにぎりが入ってきて、おっ、いいねえ。
キュウリを目の前に、いいねえ!

そういえば、いつも、いろんなことに、まあ、いいか、と思う。
そこに負の感情は、全くない。プラスもマイナスもない、
とてもニュートラルな場所で、そう思う。

と、今日、あらためて思った。

そして、稽古場で、劇団再生をする。
稽古場で、まあ、いいか、と思うことは、そういえば、ないな、と、
それもまたあらためて思った。
演劇に不可能はないのだから、まあいいか、という思考が入り込む余地がないんだ。

ナポレオンは、たくさんの書物に、「不可能」という単語を記した。
何故か。

ナポレオンに、不可能なことが多かったからだ。
だから、不可能はない、と言わねばならなかった。
不可能を蔑視しなければならなかった。
謀らずも、「不可能」という単語を残しすぎてしまった。

ゲーテもまた、同じだ。
彼は、光を恐れた。
出世という光、名声という光、成功という光、文学という光、
法という光、宗教という光、そんな光を恐れ続けた。
恐れながらも、その光に照らされていく彼は、自身を嫌った。

嫌ったが故に、言葉に逃避した。
ナポレオンのあの言葉がそのまま言い得る。
「言葉は、小心者の幻影であり、卑怯者の逃避所である」と。
ゲーテは、まさにその罠にはまった。
光を恐れたが故に太陽を描き続け、反対概念の夜を精緻に描いた。

何をぐだぐだ言ってんだ。
餌をくれ、餌をくれ、にゃーにゃー、コトバが騒ぐ。

コトバは、ティッシュを一枚一枚出すのが好きだ。
何が楽しいのか、ティッシュをくちばしでくわえ、出しに出す。
今日、帰宅すると、部屋がティッシュだらけ。

なあなあ、コトバ君、コトバ君、
餌をねだる前に、これをどうにかしてくれ、と言うと、
とぼけた顔で、

ん? と言った。

力が抜けて、コトバの頭をポンとつついたら、
ゲーテもナポレオンもどこかあっちに行った。