常陸舗道という演劇
2009年9月18日 21:13:46
先日の公演『天皇ごっこ〜調律の帝国〜』は、案外に大掛かりな舞台装置を使った。
普段の稽古場ではとてもじゃないけれど、その装置で稽古はできない。
稽古場では、その装置があると仮定して稽古を続けてきた。
そして、真夏の8月炎天下の二日間、この装置での集中稽古を行った。
場所は、常陸舗道という舗装会社の敷地。
お盆休み中のこの会社の置き場を借りて、装置を組み、稽古をした。
常陸舗道には何もかもお世話になりっぱなしだ。
こうして敷地を借りたり、装置を作る材料や工具を借りたり、
会場に搬入する車を借りたり、稽古中の差し入れを頂いたり、
この会社がなければ、この舞台は完成しなかった。断言できる。
それにしても暑い二日間だった。
そりゃそうだ。真夏。日陰もない敷地。
地面に水を撒きながら、熱中症に極度に気をつけながら、
普段この会社の社員の方が使うロッカールームを休憩所にして、二日間。
とにかく暑い二日間だった。
帽子をかぶったり、タオルを巻いたり、冷えピタを貼ったり、
炎天下の稽古。
じりじりと音を立てて陽に焼かれながら、彼らを見続ける。
空の高さを思い出す。
常陸舗道での稽古を夕方に切り上げ、普段の稽古場に移動した。
疲れ果てて、通常の稽古をした。
常陸舗道、という具体がなければ、この舞台は為しえなかった。
劇団再生の在るところ、そこが劇団再生の稽古場だ。
劇団員が居るところ、そこが劇団再生の稽古場だ。
ぼくたちがすっくと立てば、常に前方に!進む。そこが稽古場だ。
常陸舗道、というぼくたちの稽古場。
真夏の8月炎天下。ここで稽古をし創られた舞台は、阿佐ヶ谷の地下に移動して、命を得た。
命を得たこの舞台装置は、阿佐ヶ谷地下で静かにばらされて、常陸舗道に静かに、在る。
常陸舗道がなければ、この舞台をこんな形でむかえることはなかっただろう。
常陸舗道がなければ、と、断言できる。
スタッフがいなければ、阿佐ヶ谷ロフトがなければ、お客さんがいなければ、
なければ、いなければ、なければ、いなければ、と、ただ、そう思う。
ぼくたちは、生かされてここに居る。同時に「彼ら」を生かしここに居る。
なんだ、そうか、生かしたり生かされたり。
ぼくたちが居なければ、この舞台は創ることができなかった。
形而下でもそうだ。形而上でもそうだ。
ぼくたちが居なければ、この舞台を創ることができなかった。
常陸舗道と出会い、スタッフと出会い、会場と出会い、お客様と出会い、
死者と出会い、生者と出会い、出会い、出会い、出会い、
なんだ、そうか、出会ったり、出会ったり。