コトバという名前のふくろうは、今日も空を見詰め、革命の時をじっと待っている。

2009年10月21日 22:22:31

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高い場所が好きなようだ。
木製のケージがコトバのお家なのに、そこにいることはほとんどない。
そこに帰らせようとすると嫌がることこの上ない。
餌で誘って、ケージにいれようとするけれども、それを察知して、
餌だけくわえて、逃げていく。逃げていって、非難の目でぼくを見る。
高い場所が好きなようだ。
ケージの上によくとまっている。
とまって、窓越しに外をじっと見ている。
飛ぶ鳩か去る雲か来る予感か佇む空か、

何かそんなものをじっと見詰めている。

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ここ最近、夜毎脚本を書いている。
30分の作品だ、と自分に言い聞かせながら書いている。
そう言い聞かせ続けないと、どこまでもどこまでも、いつまでもいつまでも書いていそうだ。

書いては削り、言葉を削除し、また書いては、削除しながら、
30分だ。この作品は30分なんだと、言い聞かせ、

「空の起源〜天皇ごっこ〜」

「母と息子の囚人狂時代」「思想ちゃんと病ちゃんと」「雨の起源」「調律の帝国」に続く見沢作品だ。
これまで書き継いで来た論点を離れ、全く新しい立場と時代に立っている。
ここに来よう、そう思っていたわけではない。
ずっと見沢知廉という人生を追ってきた。
見沢知廉という思想を思考してきた。見沢知廉という文学をどこかに止揚したかった。
その場所が、どこかなんてわからずに、ずっと、追ってきた。

「見沢知廉」を追いながら、何かがわかったと思った次の瞬間に、
その理解は「見沢知廉」によって粉々に打ち砕かれ、
また「見沢知廉」を探しながら、わかった、と納得した次の瞬間に、
その納得は「見沢知廉」によって、嘲笑され、

そんなことを繰り返しながら、今も繰り返している。
繰り返してはいるけれども、その都度、ぼく自身の、劇団再生の、解を創ろうともがいてきた。
今もそうだ。

この場所がどこかなんて知ったこっちゃない。
ただ、ここに居る。ここに居るから、ここを書いている。

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