稽古は静かに積み重なる

2009年11月14日 23:58:33

写真

【撮影・森本薫】

『空の起源〜天皇ごっこ〜』を終えて、中一日。劇団員が静かに稽古場に集まってくる。
稽古場こそが劇団再生であることの証明であり、それを日々の証明とするために、
劇団員が静かに集まってくる。
いつもの土曜日。いつもの劇団再生。いつもの稽古場。いつもの稽古。
当たり前に淡々と積み重なる。

秋葉原の地下に空が血塗られ。
蒼い空は幻想だ、と誰かが言った。

11月12日の地下劇場。空を創りだした。
蒼い空はまぼろしだ、誰かが言った。

空に手を伸ばす。
何も掴めないことを笑う者は、世界の淋しさを笑う者だ。
蒼い空を見た。それは、書き換えられた記憶の断片だ。

記憶の断片にすがり続けた人類の安全神話が崩れ去る。
相互安全保障観念が幻想だったと知ることになるだろう。

劇団再生の稽古が静かに積み重なる。
脚本にペンを入れた。

演劇人が演劇をするということが一体どういうことか、それを脚本に書いた。
劇団再生が演劇をするということが何を意味するか、それをぼくは脚本に書いた。
ゲーテに憧れ、ドストエフスキーを夢見、達磨にひれ伏し、親鸞に唾棄され、
諸子百家に押し潰され、ストア学派に対抗し、空を壊し、
空を創り、空を描き、みずから施す死化粧。

ここを越えたい。

と休むことなく稽古が重なる。
ただ、稽古が重なる。
自身に枷をはめ、戒律をつくり、ひたすらに守り続けてきた2年間だった。
吉とでるか、凶とでるか、今も戒律は在り、全身を自縛する枷が外されることはない。
劇団再生の稽古が積み重ねられる限りその枷が外されることは、ない。

ここを越えたい。

と、一文字ずつ書いてきた。
たくさん書きたくなるのは、自分に自信がないときだ、と何十年も前に知り、
言葉を捨ててきた。
たくさん見せたくなるのは、自分に自信がないときだ、と劇団再生で知り、
画を捨ててきた。
吉と出るか、凶と出るか、今も言葉を捨て、画を捨て、残った、たった何がしかを
抱きしめ。

ここを越えたい。
と、劇団再生の稽古は積み重なる。
劇団員が当たり前に一歩を進める。風のない土曜日に帆を張る。
静かに集まり、劇団再生の稽古を重ねる。
稽古場こそが劇団再生だ。静かに稽古が積み重なる。