次の公演の画が溢れる
2009年11月19日 21:18:14
見えた画を、目の前に見たい。
いつもそう思う。
その画を見たくて、脚本を書く。
その画を見たくて、稽古を重ねる。
音楽もそうだ。
会場もそうだ。
お客様もそうだ。
全てが、ここにある画のためだけに存在する。
舞台美術もそうだ。
見えた画自体には当然のことながら一切の妥協や打算はない。
当然だ。
次の舞台の画がある。
俳優が彩られ、劇団員が躍動する。
彼らの言葉が正確に言葉とともに言葉し、
劇団員は、
命を得る。
いつもの稽古場の2階。
そこには、大きな和室がある。
その和室にパソコンだのコーヒーだの果物だのお菓子だのをもちこんで、
舞台美術の製作。
ゆーこちゃんが細やかにぼくの作業を気遣ってくれ、
集中して制作に取り組む。
和室全体に養生のブルーシートを敷き詰め、
鶴見直斗がひいた図面を確認しながら、
ぼくに見える画が、変わらずにあることが嬉しくなる。
ぼくに見えるそれらの画は、一般化される概念だ。