もう何年も「罪」と「罰」と対峙してきた
2010年2月2日 22:40:17
もう何年も「罪」と「罰」と対峙してきた。
ドストエフスキーの『罪と罰』に嫉妬し続けてきた。
「罪」と「罰」を書き続け、どこかで終わりにしようと書き続け、今も書いている。
ぼくの脚本は「告白」だと、宣言したこともあった。
確かにその一面もあるだろう。でも、「罪」と「罰」という観点に立てば、
「告白」どころの騒ぎじゃない。
形而上と形而下を一跨ぎにこえる笑顔で、たった一言、「そうだね」と。
そんな理解者が欲しい。
吊され人のバラードか、
そうだな、ぼくは、吊るされてぶらぶらぶら。
よく見りゃ、体中穴だらけだ。カラスがつついたのか、蛆がたかっているのか。
舞台でしかできないことに惹かれ、演劇でしかできないことに憑かれ、そればかり考え、
形而下と形而上を一跨ぎに笑顔する一言。
「そうだね」と。
ぼくは、強盗者だった。
ぼくは、簒奪者だった。
ぼく分、殺人者だった。
ぼくは、嫉妬者だった。
ぼくは、危害者だった。
ぼくは、兇器者だった。
ぼくは、火災者だった。
ぼくは、そうだった。
もう何年も「罪」と「罰」と対峙してきた。
「調律の帝国」という作品で脚本を書くことをやめ、演劇を書き始めた。
そして、今はそれさえも越えようとしている。
「罪」と「罰」を理解したからといって、何かが変わるわけではない。
「罪」と「罰」は、自分がどう変わろうと、ある。あるものはある。
呟いてみる。「そうだね」と。
こんなに高い場所から、
こんなに高い場所から。
一曲の唄を何度も聴きながら。
こんなに高い場所から、
こんなに高い場所から。