またあの夢を見た
2010年2月4日 22:20:35
何度か見た夢だ。
荒れた海。小さな伝馬船。必死に揺れに耐え、波に身を任せる。
遠く、遠くに、陸地が見えている。そこに行こうとしているようだ。
伝馬船には、ぼくと、死体。女だ。女の死体。全裸かもしれない。
シーツのような布がその体に巻いてある。ぼくは、それを見る。
荒れた海だ。揺れる。転覆しないようにバランスをとる。
女の死体が投げ出されないように時々全身で押さえつける。
ぼくも死体もずぶ濡れだ。雨だか波だかわからない。女の顔は白い。
どうしてそんな死体と海の上にいるのかわからない。ただ、陸を目指している。
白い顔だ。体温の低そうな女の顔だ。夢の中では、とてもよく知っている者だという認識だった。
が、今思うとあの死体は、身近な誰かか、それとも見ず知らずの誰かか。
それにしても波が高い。陸地は遠い。伝馬船の上で、女の死体に話しかけている。
昔話をしているようだ。女は口をきかない。きかないはずだ。死んでいる。
ぼくは一人で怒ったり、笑ったりしながら、話し続けている。
波をかぶった。幸い転覆は免れた。その波が女の顔を洗った。
顔に張り付いていた髪の毛が波に洗われ、放射状に広がった。
大丈夫か、と声をかける。返事はない。当然だ。死んでいる。
体温の低そうな女の白い顔を見る。
目に入ったのは、首筋の、痕だ。首を絞められたのか。指の痕がはっきりと刻まれている。
殺されたのか。そうか。
女を殺したのが誰なのか興味もわかない。
その女の死体とどうしてぼくが一緒にいるのか皆目検討もつかない。
荒れた海。高い波。陸地は見えているのに近付きやしない。
なんだ、お前は殺されたのか。幸せだったかい。そんなことを話し、笑い、怒り、荒れた海だ。
何度か見た夢だ。
不眠周期の中、2時間眠れるな、と思って横になった。
仮眠のつもりだ。その覚め際。この夢を見た。
この夢を見るたびに、死体が現実的な具体性を帯びてくる。
顔がはっきりとしてくる。死因を見たのは初めてだ。そして、
いつも陸地にはたどり着かない。海の上で目を醒ます。
とりたてて寝覚めの悪い夢ではない。案外さっぱりとした夢だ。
「飢餓海峡」を聴こう。そう思った。
「飢餓海峡」をパソコンから流した。
夢の中の海と映画「飢餓海峡」の海が似ている感じがするのだろう。
石川さゆり「飢餓海峡」を聴いたら、映画を観たくなった。
プレイヤにセットする。三國連太郎、高倉健、伴淳三郎、左幸子がモノクロフィルムを深くする。
それにしても、なんという映画だ。映画ベスト10を選べと言われれば、間違いなく上位にランクイン。
どんな映画批評家でも上位にもってくるんじゃないか。
何度見ただろう。もしかしたら、あの夢はこの映画が引き金になっているのかもしれない。
どうせ眠れない。眠れなきゃ眠らないまでだ。
さすがに集中力の持続は期待できない。仕事にかかるには脳の効率が悪い。
やり残しているあれこれにとりかかっても全部中途半端になるだけだ。
このまま「飢餓海峡」を観よう。そして、終ったら次の映画だ。
眠れなきゃ眠れないまでだ。眠れるまで起きてれば万事解決。