読むか、書くか、死ぬか、
2010年5月30日 01:36:11
冷凍庫にアイスクリームは入ってなかったかな?
何が何でも食べたいわけではないけれども、ちょっと食べたい。
一口でいいんだ。冷たくて甘いのを一口。
冷凍庫の奥にでもあればいいな。
と、無いことがわかっていながらしばらく考え思った。
コンビにまでそんなに遠いわけでもない。行こうと思えばすぐだ。数分で着く。
いや、だから、そこまでしてまで食べたいわけでもないんだ。ほんの一口でいいんだ。
一日横になり本を読んでいる。
小康に身を起こし万年筆を握ったりする。
デジタルの体温計を見るのはもう飽きた。
くそっ、アイスクリームを一口食べれば万事解決しそうなんだ。
くそったれの熱もアイスクリームには勝てるはずがない。
東西の芸術論を拾い読みしていた。
芸術の在り方、その存在意義、存在理由、芸術の発生、未来への使命。
東西の偉い「芸術家」が縦横に論じている。方々に書き残している。
そんな有象無象の芸術論を読みながら、
なるほどふむふむと読みながら、ふと、
思った。
そうか。ぼくが書きたいのは、完全な記録だ。
この思考する全ての記録記述だ。全く不備の無い、完全無欠の記録だ。
言い換えれば、一秒も欠けることのない完全な日記だ。
そして、やはりこの思考実験もこれまでに何度も提出された一つの個人的な解へと証明される。
書くことは、
たった一人のためにしかできないことだ。
一人のためだけの脚本。
一人のためだけの一行。
一人のためだけの台詞。
古今東西有象無象の書き散らされた芸術論。笑止。
芸術が万人に奉仕するはずがない。
それは奉仕されていると思う万人の思い上がりだ。
芸術家は、
たった一人の「あなた」のためにしか、創造することはない。
「あなた」以外のために何かを創れるはずがない。
何故ならば芸術家は、常に一人だからだ。
芸術は、一人を知るものが創るものだからだ。
「一人を知るものが創るもの」だから、万人という彼らは錯覚する。
「一人を知るものが創るもの」だから、万人は「奉仕」と思い込んでしまう。
そうだ、その論でいくならば、世の美術館は全て爆破されなければならない。
たった一人の居場所。
誰も侵すことのできない場所。
そう、一人だ。
絶対不可侵。
言葉と本と武器が散乱する、ここ。一人の場所。にやりと笑ってみる。武器はそろっている。
言葉もこの絶対不可侵、頭の中だ。
ぼくをつくりあげていく本も積み上げられている。
太宰が、芥川が、壇が、透谷が、有島が、火野が、三島が、川端が、見沢が、散乱する。
まただ。全員、
自殺した作家じゃないか。
ここに死を連れてくるな。
ここに死を置くな。
ここに死を、ここに死を、ここに死を、死をここに置くんじゃない!
誰も彼も自殺してるじゃないか。
誰だ、背中を押すのは!
押すなら全力で押してみろ! 全精神で押してみろ! お前がその覚悟なら、
なるほど、
飛んでもいい。
くそっ。なんだ、結局、読むか、書くか、死ぬかしかないじゃないか。
コンビニまで歩いてみるか。
帰って来たら、アイスクリームを食べながら、映画を観よう。
言葉と本と武器を散乱させたまま、映画を観よう。
さて、こんな夜か。何がいいか。『俺たちに明日はない』か、それとも『刺青』か。