高木ごっこ・・・89-24 『昭和精吾さんとJ・A・シーザーさん』
2006年10月21日 21:11:32
高木ごっこと名付けた一つの道。
フィールドは、この脳内。
細胞の一つ一つが瞬時に何かしらの判断を下し、
その組み合わせは無限に近くなる。
その無限に近い道の中から、
この肉体という袋が、
一歩、
歩く。
写真は、
元天井桟敷の昭和精吾さんとJ・A・シーザーさん。
昭和精吾さんの語る寺山の詩に深く魂をえぐられ、
J・A・シーザーさんの作る音楽に激しく魂を揺さぶられ、
細胞の判断を無視した一歩を踏み出させる。
昨日、一通のメールをキャッチ。
差出人は、いとこのMくん。
生まれ育った山口に18年過ごし、
その18年の中で
影響を受けた一人。
二つ三つ年上のMくん。
写真を、と、思ったのだけれども、手元に一枚もなし。
そう、影響を受けた。うん。
彼は自分に、社会的に正しい一歩を常に、見せてくれた。
かっこいい、いとこ。
それが、今でも変わらない印象だ。
掛渕川という一本の川が
油谷湾という一つの湾にそそぎ、
その流れは、日本海に続く。
その河港で
少年の夏休み、空を見上げて、
彼と流星群を見た。
そのとき、彼は(多分、中学生か高校に上がったくらいか)
自分に言った。
「光が届いている」
どういう意味にも取れる一言。
確かにあの流星群は凄かった。
足の下2mのところを川が流れる。
昨日、彼から一通のメールをキャッチ。
返信を書くのに、
なぜか、感傷的なり、
いろんなことを思い出した。
カントリーロード、麻雀、ギター、
車、アメリカ、そして、今。
Mくんは、やはり、自分の道を歩いているのだろう。
年上の彼の部屋には、夢があった。
きっと今もあるのだろう。
あの夏休み、釣り竿にかかった魚は、なんだったか。