音楽を作る。旋律を作り、戦慄を作る。

2010年10月21日 22:55:17

約束された舞台は来月13日、14日。二日間。
たった2回の公演だ。
脚本を書いた。
美術を描いた。
演出を担当し稽古を重ねている。
そして、今回は、音楽を作る。作曲、と言われる仕事だ。

作曲。

曲を作る。けれども、舞台音楽に関しては曲を作る、という感覚は、ない。

これまで、たくさんの舞台音楽を作ってきた。
その舞台に合わせて、大きなテーマを決める。
イメージを作る。イメージを描く。イメージを書く。
実際のメロディメイクはそれからだ。
現在は、思いつくまま旋律をスケッチしている段階だ。

一本の舞台に大体30曲近い曲を作る。
今回の舞台も、そのくらいの曲数にはなりそうだ。
30曲、

とは言っても、感覚としては、1曲だ。
2時間の曲を1曲。そんな感じだ。
ピアノだけのパートがあったり、オーケストレーションしたりで、1曲。

30曲だけど、1曲。
旋律と言う。メロディと言う。
でも、こと舞台音楽に限って言えば、
真のメロディは、俳優の姿であるべきだ。
そう思っている。そう思って、旋律を書く。
俳優が、舞台で語り、叫び、泣き、笑い、失語することこそが真の旋律だ。
俳優が、動き、動かし、立ち止まり、また動くことこそが真の旋律だ。
そうあるべきだと思っている。

舞台音楽は、彼らの旋律を補完し、重層するためにある。

だから、俳優が俳優自身のメロディを歌わない舞台は、
音楽だけが浮いて聞こえる。恥ずかしい舞台だ。
今、

そのことだけを感じている。
脚本を書いた。
演出をしている。
美術もできた。
俳優の歌う彼らのメロディをひたすら聞く。

彼らが旋律を歌わなければ、そのシーンに曲を書く価値はない。
逆に言えば、

俳優が、完全なメロディを歌いきれば、そこに曲は、必要ない。
稽古場で、思う。

歌え、お前たちの歌を。
歌え、お前たちの旋律。

旋律は、戦慄せねば、旋律ではない。
歌え、お前たちの歌。

あと数週間か。
30曲。時間との戦いだ。体力との戦いだ。
わかっている。でも、

そんなことは、知ったこっちゃない。
ぼくは、舞台音楽を書く。
舞台の上で責を負う彼らの旋律を作る。

そこは、どこだ。

原罪、という一語が浮かんでは消える、夜。