あの原稿はどこに行ったのだろう

2010年10月24日 22:11:26

ぼくが、初めてちゃんと書き上げた一本の脚本。

『罪と罰』をモチーフにしたものだ。
その後、何回も書き換えて、何度も上演してきた。
でも、処女バージョンは、上演していない。

主人公ラスコーリニコフと宮沢賢治の童話世界をサンプリングした。
ワープロが出始めた時代だ。
その頃のワープロは、まだ画面が数行という感じだった。
ぼくは、ワープロを持っていなかった。万年筆で書いた。
上演されなかった処女脚本。その原稿は、どこに行ったんだろう。

そうだ。上演できなかったんだ。大反対された。
多くのスタッフや俳優に、「こんなの舞台にできるはずがない」と言われた。
ぼくは、十代。どうして舞台化できないのかわからなかった。
舞台脚本を書いたのに、なぜ彼らは「できない」と言い切ったのだろう。
「こんなの無理だ」と彼らは言った。
その彼らは、今、テレビや舞台で活躍している。
大きな舞台のスタッフとして名前をあげている。

ぼくの処女脚本。
ラスコーリニコフ、どんぐり山、カラス軍、罪の桃の実、免罪符、原罪、物語が犯す罪、受ける罰。
そんなものがキーワードだ。
原稿がどこにあるのかわからない。
当時、誰かに読んでもらったままになっているのか。
あらためて書けと言われたら、書けるだろうか。多分、書けるだろう。

宮沢賢治の螺旋構造的心的風景とドストエフスキーの破壊衝動。

できない舞台なんかない。不可能な舞台なんかない。
「できるわけがない」と言った彼らには、想像力の欠片もなかったんだ。
演劇という原罪に対して、目をつむった彼らには、何もなかっただけだ。
舞台にする自信がなかっただけだ。
旧態依然の方法にしがみつき何かを新しく『創る』勇気がなかったんだ。
そんな彼らが、今活躍している。
その程度の想像力で金を稼いでいる。連絡なんかとってはいないが。

ぼくの処女作。
作者は、処女作を超えることはできない、と言われる。笑止。

とはいえ、そうかもしれない、と思うこともある。
そして、処女作にその作者の全てがある、とも言われる。
どうだろう。

それは、ありそうだ。
螺旋構造、破壊衝動、罪、免罪符、原罪、物語、罰・・・
25年も書き続けてきた何もかもが処女作にありそうだ。
それにしても、あの原稿は、どこにあるんだろう。

思考を変えようとそんな昔のことを思い出したり、考えたりしてみたけれど、
ダメだな。
苛立ちが収まらない。

自分でも呆れるほど強く苛立っている。
苛立ちなのか、怒りなのか、その境界がはっきりしないほどの苛立ちだ。
稽古から帰宅して、ヘッドホンを装着。
これ以上はない、というほどの大音量で歌を聴く。
尾崎を鼓膜にぶつけ、シオンを響かせ、フルトヴェングラーを震わせ、
いつまでも、

これを書いている今も、音楽でぼくを包む。
これ以上はない、そんな大音量だ。
心地よい。いや、吐き気がする。

不自由なことは大嫌いだ。
だから、言葉が嫌いだ。

それでもこうして書いている。
どこかに届くか。
それでもこうして話している。
どこかに届くか。
それでも言葉を相棒とする。
それでも言葉を
それでも言葉を

失ったぼくの処女作。
原稿用紙200枚。そこに、きっとぼくの秘密が隠されている。
どうでもいいことだが。
失くしたものは、それまでだ。

大音量でシオンが夜しか泳げないと啼いている。