戦争柄の着物、乾淑子先生

2010年12月3日 18:50:15

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『図説 着物柄にみる戦争』著・乾淑子

先日、東海大学教授の乾淑子先生とお会いした。
鈴木さんのセッティングだ。
先日の劇団再生の公演で、衣装として戦争柄の着物を使ったことで同席させていただいた。

乾淑子先生、着物デザイナの芝崎るみさん、
鈴木邦男さん、編集者の椎野礼仁さん・高橋あづささん、
週刊金曜日の白井さんと豪華なメンバーに混ぜていただいた。

会食から会議室へ場所を移し、乾先生のお話を伺った。

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『戦争のある暮らし』編集・乾淑子

もちろん『戦争柄』の話がメインとなったけれども、
そこから派生していくさまざまな事柄に話題は及んだ。
食べ物の話から、三島由紀夫の話、演劇に、テレビ、本に女に・・・
乾先生からたくさんの事を教わった。
えっ?! とみんなが驚くような話もでてきた。

そういえば、鈴木さんも、戦争柄の着物について『鈴木邦男をぶっとばせ!』で書いている。

鈴木さんと高橋さんは、戦争柄の着物を着て記念写真を撮っていた。
ぼくは、といば、先生のお話を伺い、戦争柄の図説を見ながら、
頭の中にフラッシュし続けるたくさんの画と戦っていた。

確かに舞台のイメージだ。
一枚の戦争柄の着物が喚起させる無数のイメージを相手に、言葉を探していた。
いや、言葉はすでに準備されていた。その言葉の広大な可能性に翻弄されていた、と書いた方が、正確か。

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左から、乾淑子先生・白井さん・高木

強烈な一枚の画だ。今も頭から消えない。
その一枚が無数の画を引き連れている。確か、前にも、こんな感覚を味わった。

あの時だ。見沢知廉三回忌追悼公演『天皇ごっこ』
あの舞台の前にも、一枚の巨大なイメージがたくさんの色を連れていた。
戦争柄の着物がそのイメージを喚起させたのか、
潜在するイメージに戦争柄の着物がリンクしたのか、マッチしたのか、

不思議な感覚だ。
衣装に対してこんなに複雑でカラフルなパッションを感じたことは、ない。
もちろん、

それらの着物が作られた当時の世相は理解しているつもりだ。
体験はしていないが、これまで理解しようと努めてきた。
それらの(或いは)忌まわしい、(また或いは)暗い背景をないがしろにするつもりはない。
それらを含めての巨大なイメージなんだ。

ぼくは、戦争柄の着物を舞台衣装として使い倒すだろう。
徹底的にイメージを絞り出し、衣装として使い倒すだろう。