なんか知らんが休みなく動いてるのです

2011年1月5日 22:27:39

今回も、12月から13月にはならず、諦めたように1月になり、
でもぼくは諦めちゃいないぞ、と1月1日から秘密の工房に入り込み、
何冊も同時に本を読みながら、

そうそう、時期的なものか、読書代行の依頼が急増。
現在8冊を受注し、どうしたもんかこうしたもんかと思いながらも、
本を読まなきゃ始まらん、と同時並列的にざくざくと本を読み、

そうだ、先日鈴木邦男さんと「読書対談」をした。
3年がかりで、
「日本思想体系」86巻、
「世界教養全集」38巻、
「世界思想教養全集」24巻、
を読破し、現在は「世界の名著81巻」に登攀中。
そんな話を中心に「全集を読む」ということの意義について対談した。

それにしても、毎日毎日小忙しい。
あっちに行ったりこっちに行ったりあれを見たりこれを見たり。
13月はこなかったか。つまらない。
つまらないが、この小忙しさはなかなか有意義だった。
もうしばらくこのあわただしさが続きそうだが、

それはそうと、「読書代行締め切り厳守!」
と付箋に書き、キーボードに貼り付けてはみた。
時期的なものなんだろうな、締め切りが同じくらいの日付で、案外タイト。

そうそう、先日の読書対談で今年のノルマも決めたんだ。
年間400冊、そして、「世界の名著」読破だ。
そして、来年から、「人類の知的遺産」にチャレンジか。

そういえば、これまで書いてきた脚本は、やっぱり言葉をなぞっていた。
だから、退屈だったし、書き終えたときに虚無感しか感じなかったんだ。
目の前に見えている世界は言葉だ。
世界は全て言葉で見えている。見えている景色は全部言葉だ。
その言葉をなぞって来ただけだ。
ただ、
その目の前の「もの」が「なんであるかを知っていた」

それが問題だ。
なんであるかを知っていて書いていれば、そりゃ退屈だろう。
こないだの夢を思い出した。

あなたは、言葉の塔に囚われている。

わからん・・・

あれからどう考えてもわからん。
言葉の塔、というものはもちろん見えるし、具体的に構築もできる。
その姿から、神への挑戦かとも思ったし、宣言かとも思った。

それに、「囚われている」か・・・
どっちの意味だ? 両方の意味か?
そも、その夢で言われたその一言は真の真実なのか?

それはまあいい。

ただ、今も見えている。目に見える世界なんかどうでもいい。
全部言葉だ。何もかも言葉で見える。
だから、書こうと思えば、それをそのまま書けば済む。
そんな退屈な作業を繰り返さなきゃいけないのか?

ぼくの脚本は、そんなに退屈な作業の結果だったのか?

「書く人」には、自分の体がそのまま思考になっている時間があるものだ。
何を見ても、何を考えても、何と対峙しても、
自己の体そのものが力となって言葉を紡いでいく。
そんな時、書かれる言葉は、フレッシュで力が漲り、思考はクリアで色彩豊かなものだ。
文脈は自信にあふれ、作品と同化していく時間を一人、優越的に感じる。

それは知っている。
よく言われることだ。
書くのも恥ずかしい感覚だ。

その感覚はもちろん知っている。
けれども、見えているのが言葉なんだから、退屈な作業自体はかわらない。

まあいいや。

今書いている作品は、見えている言葉の奴らを「別のもの」に変換して書いている。
だから、時間がかかる。
もう何か月も前から取り組んでいるけれどもなかなか仕上がらない。

上演を目論んでの脚本ではない。
作品としての脚本だ。

それにしても、まったくの雑文だ。
13月が来なかったことの恨みつらみの雑文一日。