読書代行という仕事
2011年1月28日 22:12:32
一日一冊は本を読む。
本を読むのは早い方だろう。
新書なら一時間くらい、現代の小説なら二時間くらいか。
時間がかかるのは、政治論や理系読み物、全集の東西の原典。
旧仮名遣いになってくるとさすがに何日もかかる。
本を読むことが好きか、と聞かれれば、嫌いだ、と答える。
じゃあどうしてそんなに読むのか。
読まずにいられないからだ、と答えざるを得ない。
それが正確な答えだ。読書が決して嫌いなわけではないが、好きではない。
好きなことは他にたくさんある。
映画を観る方が好きだ。
街を歩く方が好きだ。
料理をしたり、掃除をする方が好きだ。
漫画を読む方が好きだ。
ピアノやギターを弾く方が好きだ。
なのに、本は読まずにいられない。困ったもんだ。
老眼がすすみ、目を宥めすかしてごまかしていたけれども、ついに
老眼鏡を作った。今は、老眼鏡とは言わない。読書用眼鏡、というらしい。
読書、か。
読まずにいられないから、本を読んでいる。
そして、思い付きから、『読書代行』という仕事を始めてみた。
実は、20年も前にその仕事をしたことがある。
その時には一人の人に対してだった。
本を読み、その内容やキーワードを簡単な手書きのレポートや口頭で伝えていた。
当時、一冊5000円。
週に、5冊から7冊くらいをこなしていただろうか。
バブルがはじけ、大きな会社の重役だったその人がどうなったかは、
知らない。当時の読書代行もいつの間にか終わっていた。
そして、友人との話の中からじゃあまあやってみますか、と昨年新たに始めてみた。
インターネットを使い、『読書代行してますよ』とのせた。
お客さんがあるとは思わなかった。ただ、話のネタには面白いじゃないか、と思っていた。
そうしたところ、案外依頼がある。
メールで問い合わせがあり、何度かやり取りをして受注する。
締切はいつか、どんなレポートがほしいのか、枚数、納品形態、
年齢と性別、人称形態、文末処理、当該書籍から現代社会に対する分析の有無など。
そんなやり取りをしながら、金額を決める。
感想文的なものは、案外安価に設定している。
それはそうだ。読書の代行だ。その感想を書くのならそう頭も使わない。
枚数も何枚でも書ける。もちろん枚数に応じた価格にはなるけれども。
それが、レポートとなると話は違う。小論文ともなるとまた違う。
分析とフィードバックという頭を使わなければならない。
その分を価格に上乗せするけれども、やりがいは、ある。
面白い仕事だとも思う。
レポート、小論となると、『読書代行』というよりも『執筆代行』という感が強い。
それもまた面白い。書くのは得意だ。一つのテーマを与えられたら、いつまででも書いていられる。
それに、依頼される本は、ぼくが書店で手に取りそうにない本ばかりだ。
そんな本を読めるのもありがたい。
どんな本でも読めば血肉とする。当たり前だ。
それは、金額には換算できない幸せだ。
『読書代行』という仕事をしている。それだけで生活が成り立つわけもないが、
案外面白くやっている。
案件が時期的に重なるとやっぱり自分を追い込んだりもする。
でも、誰かと協業や分業ができる仕事でもない。
ぼくが読んで、ぼくが書くしかない、そんな仕事だ。
読書代行の執筆にはパソコンを使っている。
効率を重視しているからだ。
手で書くよりも、キーボードの入力の方が圧倒的に早い。
そんな時、へたなキーボードじゃあ疲れて仕方ない。
もう何年も使っている手になじんだキーボードじゃないとだめだ。
セクシーな音をさせるキーボードだ。
真っ黒な艶っぽいキーボードだ。
今日も三冊読み終えた。読書代行のが一冊、全集が一冊、小説が一冊。
読書なんか嫌いだけど、読まずにいられないから、読んでいる。