それにしてもだ、この数日、何文字読んで何文字書いて、どれだけの文字を見続けただろう。

2011年1月30日 00:22:51

ぼくは、まったくの偶然で演劇という化け物に向き合った。
向き合ってしまったら仕方ない。
力の限りを尽くしてそやつをやっつける。
昔からそうだ。誰になんと非難されようと総力を使って敵を倒してきた。
方法なんか知ったこっちゃない。
小学生で孫子を学んだ。戦国策を学んだ。
松下幸之助をカーネギーを韓非子を学んだ。
戦い方を学びリーダーの要件を学び不戦を学び総力という概念を学んだ。
中学にあがり、それらが現実の問題として目の前に立ち現れた。
その時、孫子や戦国策を用いることはできなかった。
理論と実践には、深い溝があった。
高校にあがり、様々な問題やトラブルは中学時代に比べ深化したのを感じた。

ぼくは、孫子の君子然とした理論を嫌悪し、
諸葛亮孔明にぼくの戦いを映した。曹操にぼくを投影した。
信長も秀吉も家康も嫌いだった。みんな中途半端だと感じた。
それは、トルストイを嫌い、ドストエフスキーを好んだ感覚と近い。

演劇という、はっきりと言う。敵だ。
この数十年対峙している、敵だ。

今日、稽古場で、それをはっきりと認識した。
ぼくは、その敵と戦っているときが一番楽しい。充実している。
生きるか死ぬか、と総力を尽くして戦っているときの充実。
総力だ。

戦うことが、仕事だと、今日、はっきりとわかった。
それにしてもだ。この数日、文字を見続けてきた。
読み、書き、直し、入力し、校正し、また読み、書き、と。
何文字を認識しただろう。

熱も出る訳だ。
とはいえ、締め切りは守る。
何がなんでも締め切りは守る。
約束を守れない者は戦う価値を持たない。
そんな輩は大体が、口だけだ。口は達者だが、という奴だ。
自分が言ったこと棚に上げて、という奴だ。軽蔑、という言葉がぴったりの奴だ。

そう、ぼくは演劇を創って来たのではない。
いつも、ぼくは敵と戦っていたんだ。それが楽しかったんだ。