『ブレンターノ・フッサール』【世界の名著51】・『フィヒテ・シェリング』【世界の名著続9】・『あらゆる本が面白く読める方法』『見よ 月が後を追う』

2011年1月30日 20:27:38

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こうして「高木ごっこ」の前に座るといつも思う。
なんだ、読書の記事とコトバの記事しかないじゃないか。
そういえば、昔は(と言っても数年か)随分とたくさんの話題をここに書いてきた。
今だって毎日たくさんの事が起こっている。当然だ。
あの頃よりむしろ量的にも質的にも多くのことがぼくに関わっている感じがする。
でも、それらを「高木ごっこ」に書こうと思えなくなってる。

書く意味がない。
書く価値がない。
書く意義がない。

じゃあ、読書とフクロウのことは、書く意味や価値や意義があるのかと問われると、
んー、と答えに窮する。質問に質問で返す無礼を知りながらこう問うか、

ある? と。

読書に対してはノルマを課していることへの正確性と公正性を期してはいるつもりだ。
そして、フクロウについても狭いコミュニティかもしれないが、社会的な意味があるとは思っている。
が、果たして、大上段から

書く意味は?
書く価値は?
書く意義は?

と詰められると、

ないかな、と弱気にもなる。
そりゃそうだ。ぼくにとって唯一それらがあるのは、脚本に対してだけだ。
脚本と書いたけれども、ここで何度も書いてきたように正確には脚本ではないが、
脚本と書いた方がわかりやすいだろうと思って、今は脚本と、書いた。
そんな名付けえぬ脚本みたいなものを書くことに対しては、堂々と答えることができる。

意味も価値も意義も、ある、と。

『ブレンターノ・フッサール』【世界の名著51】
『フィヒテ・シェリング』【世界の名著続9】
『あらゆる本が面白く読める方法』一条真也
『見よ 月が後を追う』丸山健二

ようやく、そんな名付けえぬ脚本みたいなものを書くことの意味・価値・意義を理解した。
ぼく自身にとってのそれを明らかにした。

明らかにしたら、他のものが書けなくなった。
そりゃそうだ。
反証的にその他のものに意味・価値・意義がないと証明されるから。

無駄なことをしている時間は、少なくともぼくにはない。
無駄なことを考えている時間もない。
無駄な人と会っている時間もない。
無駄、という言葉を使ったけれども、そこには当然、その意味、その価値、その意義だ。

それにしても、人の時間を無駄にさせることについては長けている人が多すぎる。
あんたらは人の時間をどう思ってるんだ。
人の時間を奪うことの残酷と責任をどう思ってるんだ。
もちろん、そのまま自分にも突きつける言葉。
ぼくは、人の時間を奪いたくはない。無駄にしたくはない。
そんな出来事が起こりそうなときには、細心の注意を払う。
ぼくは、あなたの時間を無駄にしていないだろうか、と。

二冊の全集を読み終えた。
まったく理解できなかった、と言える。けれども、きっとそれは無駄な時間ではなかった。
何もわからずに、まったく理解できずに1000ページを超えるものをただ読んだ。
ただ、字を目で追ったという現象。
それが読書と言えるかどうかは別として、そこに費やした10時間。
きっとそれは無駄ではなかったと、思う。もちろん確信があってのことではないが。

一人を望み、独りを固守し、この最後の防壁に閉じこもるのは、
ぼくの或いはヘルプであり、また或いはパッションなんだと。

この小さな部屋、本が山積みになったここに居る、ぼくとフクロウ。名前はコトバ。
ここを守りきることの日々が意味や価値や意義を考えさせてくれる。

『ブレンターノ・フッサール』【世界の名著51】


責任編集/細谷恒夫

ブレンターノ


「道徳的認識の源泉について」水地宗明 訳

フッサール


「厳密な学としての哲学」小池稔 訳
「デカルト的省察」船橋弘 訳
「ヨーロッパの学問の危機と先験的現象学」細谷恒夫 訳

『フィヒテ・シェリング』【世界の名著続9】


責任編集/岩崎武雄

フィヒテ


「知識学への第一序論」岩崎武雄 訳
「人間の使命」量義治 訳

シェリング


「ブルーノ」茅野良男 訳
「人間的自由の本質」渡辺二郎 訳
「哲学的経験論の叙述」岩崎武雄 訳