日本という質量・・・377-13 『やはり、考える』
2006年11月10日 00:06:37
11月9日、ゼミに参加してきました。
ここ最近、続けて出席させて頂いているのですが、
ゼミの時間を参加者と共有し、
考えます。
そして、自分の無知を改めて、知らされる時間を過ごします。
「ああ、何も分かっていない自分が、いる・・・」
ゼミ終了後、参加者と近くの居酒屋で歓談。
そこでも、同じように自分の小ささ、無知を知る。
50ccのバイクを走らせ、自宅に戻りながら、
考えます。
あらゆるシュミレーションを繰り返し、
思考実験を繰り返し、
一人ディベートを繰り返し、
部屋では、コトバが眠そうな目で待っていました。
このタイトル「日本という質量」
そう、質量。
アントワーヌ・ラヴォアジエが元素の概念と共に提唱した
質量保存の法則、
物理学の領域においてニュートンが提唱した系全体の質量の和が一定性。
そう、それを思って、つけたタイトル。
それぞれの国には、それぞれ固有の質量を有する。
それが、経済や国民性や国力や軍事力やわがままやいじめっ子の存在や
被害妄想国や・・・そんなもので、
それぞれの固有の質量が変化している。
減少した質量は、どこか別の国の質量として増え、
日本・・・
質量が、減少していないか。
どこの国に、この固有の質量をもっていかれているのか。
日本、質量が減少していないか。
そもそもあった、あの、質量をもう一度手に入れたいと思わないか。
そのために、何が、できるか。
じっと、手を見る。