次の問いだ

2011年2月23日 20:41:46

一人、は悲劇名詞か、喜劇名詞か。

なんて、問いを交わす「誰か」が欲しい、という「感情」は、喜劇か、悲劇か。

目の前には、コトバ。
なあ、コトバ君、コトバ君、「悲劇? 喜劇?」と聞いてみる。

「にゃー」と鳴いた。

コトバと言葉を交わす。
でも、そのコトバとの対話は、この程度の問いまでだ。

ここより先の問いになると、コトバは知らん顔する。
問いに対する解を知らないからか、
考えることがめんどくさいからか、
それとも、ぼくへの挑発か。

2月23日。

友人三人の誕生日。
今日、一つの命がなくなった。

そして、池田晶子さんの命日。
どれだけ彼女の言葉を考えてきたことだろう。

2月23日。

一つの問いを自分と対話する。
ぼくは、ぼくとこうして対話する。

一人、は悲劇名詞か、喜劇名詞か。