『言葉の演劇』を思う

2011年3月12日 23:41:33

随分と長い間、脚本を書く、ということを考えてきた。
考えながら、悩みながら、迷いながら、書いてきた。
何十本もの脚本を書きながら、いつも迷いが残った。

書くということは何か。
脚本とは何か。

そのことがこの頭から離れることがなかった。
いつか、

「八文字の脚本」を書こう、と何度もここに書いてきたが、
その具体的方策を思いつくことがなかった。

そうか、理屈にとらわれ過ぎていたんだ。
なるほど、論理にとらわれ過ぎていたんだ。

一晩で書き上げた一本の脚本。
それを書き終えて、わかった。

言葉の先にある一つの情念に身を任せる、ということ。
疲労も迷いも悩みも計算も理屈も論理もなく、
驚くほど自然体で書き上げた一本。

手を入れる場所がないほどに素直に完成した一本。
ペンは滑らかに動き、景色が時間に沿って動き、完成した。
上演の約束は、ない。

書き終えて、こんなにすっきりとした気分は始めてだ。
恐るべきカタルシス。
満足か、と聞かれれば、満足だ。
もちろん、その一本に関してだが。

確かに、自身満足した作品。
いつでも上演できるだろう。

これぞ脚本。

そんな一本を書いた。