長い思考が一つのつぼみになり、予感する
2011年3月26日 23:03:50
そのつぼみが花をつけ
果実をつけ
子孫を残すために死と再生を観念し
そんなことを新宿で思う
江戸組み紐の職人さんと話す
実存と不条理の関係における証明を浴衣のデザインに見る
似顔絵を描いていただく
ビル風の風速を計ってみる
33年前のエクスタシーを時を超え感じる
映像の中の音楽にことのほか心揺さぶられる
喫茶店で北一輝を読む
かっこいい角帯を見つける
黄昏の新宿に毒づいてみる
昔を思い出し歌舞伎町のど真ん中を突っ切ってみる
昨年秋からの長い思考がつぼみをつけた
花をつけるのはこれからだ
水やりが難しい
やりすぎると根腐れするし
少ないと枯れてしまう。
どんな花が咲くか
それはわかっている
どんな果実を結実するか
それも見えている
そして
その花が落ち、果実が腐り、と死の予兆のさなかに再生の息吹があるかどうか
それだけを問題にしている
長い思考の到達点は唯一一点、そこだ。
死の真っ最中に再生の予兆を残せるかどうか
方法は、言葉しかない
言葉の伝達でしかその予兆を作ることはできないだろう
ぼくの予言は当たるんだよ、君。