北一輝を追う
2011年3月31日 21:30:32
北一輝を追い続けている。
何故かすっぽりとそこにはまり込んでしまった。北一輝という「言葉」に。
みすず書房の「北一輝著作集」全3巻。旧字で難解な言葉が並び、すらすらとは読めない。
そして、北一輝論なるさまざまな評論を手当たり次第に読んでいく。
これほど評価や解釈が多岐にわたる思想家はいないのではないか。
これほど定説さだまらない人物も過去にいないのではないか。
だからこれほど「北一輝論」が書かれてきたのかもしれない。
北一輝は、果たして「思想」だろうか。
昨年8月、佐渡を訪れた。北一輝の命日8月19日に合わせての佐渡行。
有志により行われた命日法要に参列させていただいた。
法要は、神社の境内で行われた。そこに北一輝と弟北 吉のレリーフが掲げられた慰霊碑があった。
30人ほどの参列者だっただろうか。一人一人、玉串奉奠をし、頭を垂れる。
その後、社務所で直会が行われた。その末席に座り、北一輝、という「言葉」を考えていた。
神社を後にし、佐渡在住の友人に北一輝の墓所に連れて行ってもらった。
小さな墓所に北一輝の墓は、苔にまみれ、世間からすっかり忘れられたように、あった。
そこでようやく北一輝の「言葉」を感じた。
神社での法要や、慰霊碑記念碑や、案内板、からは感じることのできなかった北一輝の「言葉」
小さな墓所のぼろぼろの墓石の前で手を合わせ、ぼくは、震えた。
北一輝がそこにいた、とは決して言えないが、いつか、北一輝を書こうと、決意した。
北一輝は、果たして「思想」だろうか。
これまで何冊も何冊も北一輝を読んできた。
北一輝の生きてきた軌跡はあらかた頭には入っている。
佐渡を訪れ、北一輝が歩いた町を歩いた。泳いだ海を泳いだ。通った学校を訪ねた。
渡った日本海を渡った。北家の家産を傾けた佐渡―新潟航路に乗った。
北一輝の生家の前で彼の人生を思った。詩作と思索。恋情と廉潔。祈りと拒絶。
いまだにぼくは、北一輝に何がしかの評価を下すことができない。
いつまでもできないかもしれない。
だからといって、これまでの「北一輝論」に賛意を表するものでもない。「?」がたくさんある。
「北一輝」論を書きおろしてきた、たくさんの評論家もまたそう思っているのかもしれない。
村上一郎、松本健一、古谷綱正、嘉戸一将、渡辺京二、松本清張、別役実、豊田穣、田中惣五郎・・・
みんな、「北一輝」論を書きながら、どこかに、不安を感じていたのではないか。
それは、
北一輝が、どっかそこらで、俺を見て、せせら笑っている・・・
という感覚・・・
義眼の右目が、俺を、見据えている・・・
という感じ、か・・・
北一輝を追っている。
先達の「北一輝論」に向こうを張って、新たな「論」を展開しようというのではない。
そうではないが、ぼくは、ぼくなりに、「北一輝」を知りたい、と思っている。
ぼくは、ぼくなりに、「北一輝」を定めたい、と思っている。
定まるかどうか、それは全くわからない。これまで以上の「不定」という解が導き出されるかもしれない。
そうなったらそうなったまでだ。
果たして、北一輝は、「思想」となり得るだろうか。