『北一輝著作集第一巻』『北一輝著作集第二巻』『北一輝著作集第三巻』

2011年4月14日 22:04:55



読み込んできた三巻。北一輝の原典だ。
『国体論及び純正社会主義』『支那革命外史』『日本改造法案大綱』そして、
論文、詩歌、書簡、二・二六事件訊問調書。ひたすらにこれと取り組んできた。
付箋だらけだ。傍線だらけだ。書き込みだらけだ。読めば読むほど「魔王の森」を彷徨う。

『国体論及び純正社会主義』のその精緻な論理に眩暈の中五里霧中を進み、
『支那革命外史』の名文美文に思わず声を上げてそれを読み進め、
『日本改造法案大綱』の予言にも思えるその世界に幻惑する。

ぼくは、北一輝に、何を、求めているのだろう。

これまでも傾倒した人物は、確かに、いる。誰にでもそんな人があるのだろう。
太宰治に傾倒した。全集を読み漁り、評論・論文を読み漁り、太宰の故郷を訪ね取材した。
寺山修司に傾倒した。全集を読み、評論・論文を読み、演劇に携わり、寺山さんの故郷を訪ねた。
埴谷雄高に、ドストエフスキーに、ヘーゲルに、ニーチェに、丸山健二に、見沢知廉に傾倒した。
ロシア革命にフランス革命に傾倒した。思想そのものに傾倒した。哲学に傾倒した。
いくつかの完全な数式に傾倒した。石川啄木に、カミュに、レヴィナスに、プラトンに傾倒した。
高倉健に、レーニンに、ヒトラーに傾倒した。加山又造の「猫」に傾倒した。

あちこちに傾倒しながら、ぼくは、ぼくの時間を費やし、それらに挑んできた。
今思えば、その傾倒は中途半端なぬるく甘いものだったかもしれない。
でも、その時分には全ての時間と我が身をなげうってそこに傾斜していた。
今、

それらへの熱が冷めたか、というとそんなことはない。
それらへの傾倒が結実したかというと、そんなこともない。
太宰治も寺山修司も埴谷雄高もドストエフスキーもヘーゲルもニーチェも丸山健二も
誰かに何かを語れるほどの言葉を手に入れたわけではない。自分の中で解釈し切れたわけでもない。
今も、

それらへの熱は続いている。
続きながら、それらの事物が伸ばす触手を感じ続けている。何もかもがリンクするのを感じてはいる。
触手同士ががっちと手をつないでいく快感を感じたりする。感じながらエクスタシを覚える。
寺山さんと野村秋介氏がつながり、ヘーゲルとゲーテが、ゲーテと独逸が、
ニーチェと北一輝が、北一輝とヒトラーが、太宰と革命が、と、果てしなくリンクし続けている。

そのぼく自身の中の出来事が何を意味しているか、それは、わからない。
ただ、

「神は死んだ」というニーチェの言葉を、「あっ」、そうか、と理解した。
ぼくは、意味を求めている。そうか、なるほど、意味か・・・。
「出来事」という現象と「意味」という現象。ぼくが北一輝に求めているのは、それかもしれない。

だが、果たして、北一輝は、「出来事」と「意味」を現象として、ぼくに見せてくれるだろうか。

『北一輝著作集第一巻』北一輝
『北一輝著作集第二巻』北一輝
『北一輝著作集第三巻』北一輝

昨年の佐渡行を思い出している。
新潟までの夜行バス、早朝の新潟駅、フェリーターミナルまでの悠々の散歩。
フェリーに群がるカモメ。海から見る佐渡。太宰の驚嘆した「大陸のような」島。
順徳天皇真野御陵、北一輝墓所、北一輝の生家、佐渡歴史伝説館、そして佐渡の海。
佐渡の居酒屋、高倉健にそっくりの店主。あれもこれもおいしい佐渡。佐渡の友人は大先輩。
強行軍で行った佐渡。北一輝が生まれ、育ち、考え、影響された、佐渡。

北一輝は、佐渡を飛び出し、新潟を飛び出し、東京を飛び出し、日本を飛び出し、中国を飛び出した。
北一輝は、学校を飛び出し、恋愛を飛び出し、政治を飛び出し、革命を飛び出し、肉体を飛び出した。

北一輝は、死んだ。殺された。銃殺された。
常に、飛び出し続けた北一輝は、殺された。銃殺された。そして、未だに、飛び出し続けている。
戦争の日本を、戦後の日本を、復興の日本を、政治の季節を、革命の機運を、飛び出し続けている。
解釈を拒み続け、思想となることを拒み続けている。理解を拒み、正解を拒み続けている。

ぼくは、それを「魔王の森」と呼んでいる。

ぼくは、「魔王の森」で途方に暮れながら、それでも追い続けている。
北一輝は、叫んだ。「そうだ。日本に帰ろう」と。

「そうだ、佐渡に行こう」と、ぼくは、思っている。今年も佐渡に行こう。あの海を見よう。
大先輩の友人に会おう。劇作家の、演出家の、大先輩の友人に会いに行こう。
夜を徹して話そう。そうだ、佐渡に行こう。今年も佐渡に行こう。北一輝を追いかけよう。