夜の街を見ている
2011年5月23日 22:26:03
カーテンを開けると、網戸越しにいつまでもいつまでも外を見ている。
何を考えているのか、何を見ているのか、頭をちょんとつついても、じっと見ている。
仕事が大きな山を越えて、全体がぐっと前に出た感じがした。
机に貼り付けてある「やること」の付箋が順に剥がされ、少なくなってきた。
脚本に頭が向くようになった。
9月の「画」。何もかも「言葉」で見えている「画」。
そうだ、以前、このHPにメールをいただいたんだった。
「言葉で見える、というのは、どういうことですか?
言葉だから、画が小説みたいに説明されている、ということですか?
それとも、単語がいくつも思い浮かぶ、ということですか?」
そのメールには、返信した。
「画が小説みたいに説明されているのが見えるわけではありません。
頭の中に単語が思い浮かぶのでもありません。
なんとも説明しづらいのですが・・・」
なんとか説明を試みようとしたけれど、
「やっぱりどうもうまく説明できません」
その日以来、
「言葉が見えている状態」或いは「全ての実像が言葉で見えている状態」を説明的に言葉にしようと
あれこれと思考実験的に言語実験を繰り返してはいるけれども、なかなか難しい。
見えているのだから、それをそのまま説明すれば済むはずなのに、それがうまくいかない。
だからといって、「見え」ているそのままを「絵」として描くのもままならない。
なぜなら、その「見え」ているのが、言葉なんだから。ならば、
「言葉」なんだから「読め」ばいい、かというとそれもうまくいかない。
そこに「在る」言葉は、「見え」ているのだから、読むのとは訳が違うらしい。
ということで、そんな「画」と数か月向き合ってきながら、ようやく実務的な脚本にペンを入れた。
さて、じゃあ、まあ書きますか。と、そんな口調の場所にいて、原稿用紙を前にする。
新調した眼鏡はなかなか具合がいい。
これが劇場に入った時にどう見えるか、だ。劇場用に新調したの眼鏡だ。
この眼鏡が劇場で思った通りに機能すれば、少しはストレスもなくなるだろう。
最近読んだ本を少し整理しようか。
コトバ、窓を閉めるぞ。今日は、気温が低い。雨だ。窓を閉めようか。