真夜中と夢の中の狭間で煙草に火をつける

2011年8月3日 20:23:01

写真

稽古を終えて帰宅する。

頭は、画を追い続けている。何もかも捨ててしまうか、と。

稽古場で口にする言葉があまりに言葉に近くて自身苛立つ。
言葉を画に近づけようとすればするほど、言葉を失う。
結局、沈黙せざるを得ない。とはいえ、・・・

(退くな! 押せ!)

声がする。ぼくの声だ。稽古場からの帰り道、国道254を渡るときだ。
ああ、わかってる。退きやしない。
稽古場。言葉を尽くすしかないが、それにしてもその言葉のあまりの弱さ。
そもそも言葉に意味が在ることが、問題だ。
言葉に有機的な意味を持たせずに、
言葉が、単純で、純粋で、数学的な記号として存在すれば、
ぼくの画を、あるいは、誰かに、言葉で、伝えることが可能かもしれない。
もちろん、誰かに伝えることに、何か、価値があるとしたらの話だが。

脚本に、全部書いたんだ。
何もかも、書いたんだ。
この作品における何もかもを書いたんだ。
原稿用紙という紙の上に、有機的な意味を持った言葉を全て書いた。

読めば、何もかもが、構築される。

稽古場から戻り、真夜中一人。
頭は回転し、発熱し、苛立ち、泡立ち、自同律の快感を嫌悪する。
頭を鎮めなければ、いずれこの体に支障がある。
それは、経験上、良く知っている。そのためにこれまでいろんな方法を試した。

稽古場から戻るのが21時30分。
着替えて、雑務を片付け、コーヒーを淹れるのが22時。
机について、脚本を開く。頭から脚本を読む。
一字一句飛ばさずに読む。一つの「、」一つの「。」を飛ばさずに読む。
読み終わるのは、0時30。頭は回転している。目の奥に鈍痛がある。

それから、好きな映画を観たり、漫画を読んだり、頭を鎮めにかかる。

上手くいくこともあるけれども、ますます冴えることもある。
帰ってきて、脚本を開かなければもっとうまくいくかもしれないが、

脚本を読まない日は、ない。本番の稽古をしている間は必ず毎日読む。

どんな俳優よりも、脚本を読み込んでいる自信はある。

そんな、真夜中と夢の中のはざま。
熱いコーヒーを前にして、煙草に火をつける。
今日はどうやって頭を鎮めようか。どうやって夢の中に行こうか。
何度も読んだ『名探偵コナン』を読むか、
何度も観た『名探偵コナン』を観るか、『LEON』か『復活の日』か。
『ゴルゴ13』を読もうか、『赤目四十八瀧心中未遂』を観るか、
ヴィクトリカに会いに行こうか、いやいや、活字はもうごめんだ。
やっぱり映画か、漫画か。

段ボール箱の中から、漫画を引っ張り出してくるか。
『ドーベルマン刑事』や『沈黙の艦隊』『からくりサーカス』

今日は、どうやって頭を鎮めようか。
そんなことを考えていたら、コトバが「にゃー」と鳴いて、

ぼくを見た。
そのとぼけた顔を見ると、力が抜けてしまう。
写真撮ってやるか、とカメラを持ち出してレンズを向けると、

とことこと近づいてきた。