稽古が積み重なり、画が見えすぎて、恐怖する

2011年8月6日 22:05:38

ここに、これまで何度も書いたけれども、

あまりに見えすぎて、怖い。恐怖だ。美しい画は、同時におぞましい。

稽古場で、俳優の肉体を見ながら、その肉体を透かし見る。
俳優の背後を透かし見ながら、同時にその肉体を見ている。

目に見える画は、全て言葉。
言葉がありありとまざまざと脳に直接焼き付けられる。
目の前で繰り広げられる稽古が同時進行的にイデアを焼き付ける。

ぼくは、稽古場で画を選択しているわけではない。

稽古場では、ただ、観ているだけだ。

俳優を無条件に信じながら、ぼくは一切信じてはいない。
俳優の一挙一動に不信しながら、ぼくは彼らに全幅の信を見る。
それは、常に、同時に行われる。

ぼくが今現在知っている一つの法則。存在即法則。
一切をその一言に集約しながら、イデアを見ている。

観たいのなら、明日にでも本番を見せてやろう。
演劇は、そんなもんだ。
稽古場に入ったら、いつでも本番は可能だ。
そうでなければ、なんのための稽古場か。
そうでなければ、なんの演劇だ。

いつか、彼らは知るだろう。

ぼくは、許さないことは、絶対に許すことはない。
許す、という資格があるない、という次元の話ではない。

ぼくのイデアを愚弄するものを許すことはない。
ぼくのそれをあしげにするものを許すことはない。

いつか、彼らは知るだろう。その恐怖を。その暗闇を。その不可逆性を。

画が見えすぎて怖いんだ。
怖くて窒息しそうなんだ。

怖くて、つい笑ってしまうんだ。

稽古場で、ぼくは、明日はないと叫びながら、100年先と戦っている。