森田童子と煙草と真夜中

2011年9月15日 23:02:21

写真

君が死んだ九月の空。
真夜中を待っている。静かに真夜中を待っている。

ぼくの煙草、ショートピースに火をつけ、立ち上る煙を見続けている。
まっすぐに上る白い煙は、真夜中を連れてくる。

目の前で、森田童子がくるくる回る。
真っ黒なレコードがくるくる回る。大きなレコード盤がくるくる回る。

今日、『天皇ごっこ・見沢知廉 たった一人の革命』の試写を見た。
それを見て、一本の演劇ができた。

頭の中にその舞台の全てが見えた。観客の反応さえ見えた。
音が聞こえ、俳優の声が聞こえた。ここまで見えれば、すぐにでも実現するだろう。

まったく、退屈な話だ。見えたものは必ずできてしまう。
見えた画は、必ずそこにできてしまう。退屈な話だ。


「ひとりで生きてきたことの淋しさに気づいた
今すぐ海を
今すぐ海を
見たいと思った」

行きどまりの海でぼくはふり返る

森田童子がくるくる歌う。
森田童子がくるくる回る。

真っ黒なレコード。森田童子が刻まれた溝。
1978年7月29日東京カテドラル聖マリア大聖堂でのライブ盤。

森田童子が歌う。
CDには収録されていない森田童子の語りが静かに夜を回る。


悲しい時はほほよせて
淋しい時は胸を合せて
ただふたりは息をこらえて
虫の音を聞いていました
そんな淋しい夏の終わりでした

悲しい時はほほよせて
淋しい時は胸を合せて
ただふたりは目を閉じて
眠るのを待っていました
そんな淋しい愛の形でした

悲しい時はほほよせて
淋しい時は胸を合せて
ただふたりは夜のふちへ
ふるえて旅立つのでした
そんな淋しいふたりの始まりでした

今日見えた画は、いつか、舞台にのせるだろう。
今日見えた舞台は、いつか、上演されるのだろう。

それにしても、だ。
退屈なんだ。

煙草のけむりが真夜中を連れてくる。
ぼくは、偉大な真夜中を知ってるんだ。

この退屈をどうにかしてくれ。舞台の稽古や本番中は本が読めないでしょう、
と、何人もの方に言われた。本番中、そんなに疲れた顔をしていただろうか。

そんなことはない。きちんと毎日一冊は読んでいた。
今月は、太宰治月間と決め、太宰ばかりを読んでいた。

舞台で疲れ帰宅して、シャワーを浴びて、舞台の雑務を片付け、文庫を開いた。
眠るまでに半分。そして、決めた時間より早めに起きて、残りを読んだ。

なかなか劇場では本は読めない。
だから、帰宅して一人読んだ。いつも一人になりたいと思っていた。

それは、どんな舞台でもそうだ。音響でついている時も、作曲で関わっている時も、
そうだ。さあ、帰ろう。一人に帰ろう。一人で煙草を吸うんだ。

目の前で、森田童子が唄っている。


「きみは悲しみの青い空を一人で飛べるか」