見沢さんの映画が公開された
2011年10月30日 00:47:14
先日、見沢さんの墓参りに行ってきた。毎月のことだ。
もう足かけ6年。毎月、見沢さんをお参りしてきた。
先日のお参りはいい天気だった。黒猫大観音が足元に遊びにきた。
そして、今日から見沢さんの映画が公開された。
『天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命』
公開中、大浦監督と多彩なゲストによるトークが企画されている。
ぼくも、11月12日土曜日、13時の回終了後に登壇させていただく。どんな話になるだろうか。
劇場で販売されている映画のパンフレットにも寄稿させていただいた。
紀伊国屋書店新宿本店では、天皇関連の書籍を集めたブックフェアが開催されている。
見沢さんの本がたくさん並んでいる。新刊『背徳の方程式―MとSの磁力』も並んでいる。
図書新聞には、書評が掲載され、明日のスポニチに映画の記事も掲載される予定だ。
ぼくは、明日劇場に足を運ぶ。大きな画面で大浦監督の映画を観る。
今年は、見沢さんの七回忌。見沢さんが死んで、ぼくは見沢さんを追ってきた。
三回忌の公演を行い、生誕50年展を行い、展示会を行い、七回忌をやった。
来年は、見沢さんの誕生日の8月23日に展示会を行う予定だ。
2015年には、没後10年記念公演を行うだろう。
見沢知廉全作品舞台化計画も継続中だ。そして、これからも毎月墓参りをするだろう。
2017年には、13回忌だ。それまでにも何かにつけ、見沢知廉を上演するだろう。
どうして見沢知廉をやるんですか? という問いに、今も誰かを納得させられる言葉を持たない。
持たないから、上演するんだ。
獄中小説集『背徳の方程式』には、未発表作品を4編収めた。
未発表小説は、まだまだあるんだ。13回忌までには、もう一冊出版したい。
べったりと粘度の高い疲労がぬめりついている。
洗い流そうといろいろ試すけれども、なかなかこの肉体から落ちてはくれない。
画ばかりが頭の中をフラッシュしている。見えたら終わりなんだが、
それでも現実世界での創作、或いは制作という作業には、心を奪うなにか、
魅力がある。頭の中には、もう
4本の舞台ができている。このくそったれの肉体がフレッシュに覚醒すれば、
明日にでも世界を恫喝しよう。それにしても、だ。これは、単に疲労なのか?
確かに、見沢さんの三回忌公演から、先日の七回忌公演まで休みはなかった。
4年間の疲れ、と言えば、確かにそうかもしれない。
年齢的なものかもしれないし、もともとのこの肉体の素養かもしれない。それにしても、だ。
久しぶりに、呑むか、と、猪口に冷。
脚本を書くべきだが、どうにもノイズが走査する。
ままよ、と日本酒が体を回るに任せ、コナンを眺める。
灰原がその人生を静かに達観しながらあがきにあがき、コナン君の優しさを
残酷だな、と、猪口に冷。
見沢さんは、死んだ。ぼくは生きている。それだけのことだ。
それだけのことだが、なんでかそれが、どうにも気にかかる。
誰かにその話を聞いてほしいな、と思うも、その吐露は、或いは、ぼくの弱さか。
ぼくの弱さ?
なるほど。つい口にしたが、弱さ、ということを正確に定義していない。
定義していないが、つい口にした。それはなぜだろうか。
弱さ、ということを雰囲気で把握したからか、それとも別の理由か。
それがなんであれ、今日は、見沢さんの映画が公開された。
大浦監督が「見沢知廉を撮りたいんだ」という話をされた時から、
なんだかんだと関わって来たけれども、ついに公開。
見沢さん、映画ができましたよ。