いやまあいろいろ考えることもあるのです
2011年12月19日 22:49:41
『劇的読書会』を終えて帰宅した。
今回の読書会は、数ページ進んだだけで、あとの時間は
なんだかんだといろいろな議論をしていた。
議論、というよりも、思いついたままをみんなが話す感じだろうか。
いいことだと思った。
相手の意見を尊重することは、実は案外難しいことなのだけど、
どうやらこの読書会に参加しているみんなは、それがきちんとしている。
だから、楽しい。いつまででも話していたい。
いろんな話をみんなでしていたい。そう思うような会だ。
次は来年一月。プラトンを読み進めよう。どんどん先に進もう。
そして、今日のいろいろな議論の中で、ぼく自身が気付いたこともあった。
もやもやしていた感覚が今日のみんなとの話で一つの言葉になった。
それは、財産だ。自分で気づく。それは大きな大きな財産だ。
書店を回っていた。たくさんの本が並んでいる。
読んでいない本ばかりだ。これだけ毎日本を読んでいても、全然間に合わない。
本を読むこと。美しき毒薬。忌まわしき媚薬。
手帳を見ると予定が詰まっている。出かける用事が多い。
忘年会だの、なんとかの会だの、私用だの、打ち合わせだの、
仕事だの、悪事だの、おせっかいだの、ただの付き合いだの。
手帳に書かれたすべてをこなせれば、もちろん、
人としては100点なんだろうけれども、目指すはせめて50点。
毎年のことだが、年の瀬が近づくにつれなぜか戦闘的になる。
なるほど。今年もそうか。
一年だの、一か月だの、と時間的期間に拘泥するタイプではないけれども、
体のどこかで、この「一年」を総括しようとしているのだろう。
別にそれに抗うようなことはしない。
なんだかんだと、きっと、思い起こしているのだろう。
演劇の事や、読書の事、そして自分自身のこと。
そのどれに対しても戦闘的だ。どこでどう自分のことを話しても、
バカだの、ろくでなしだの、なにやってんの、と言われるけれども、
でも間違ったことは間違ったことだと思う。
間違ったことが間違っていると決断するのに、それはもう考えに考える。
いろんな角度から一つの事象を考える。
利己的にならないように、中立を保ち、考える。
間違っていることは、正したいと、やっぱり思う。
せめてぼくだけでも正したいと思う。
そうなるとやっぱり刃を抜くしかないんだよな。
そんな結論に自分自身困ったなあ、と思うけれども仕方ない。
刃を抜いたり、牙をむいたり、それはきっと疲れる。
疲れてももう、やるしかない。
この肉を斬らせて、相手の骨を裁てればいいが、なかなかそうもいくまい。
でもまあ、仕方ない。
一枚のCDを探しているが、手に入らない。
どうやら日本では発売していないようだ。
海外のサイトかで買うしかないのかな。ちなみにクロアチアのCD。
んー。
高倉健をモニタに見ながら、ぼんやりと日を過ごす。
引き受けた作曲を進めながら、そして、同時にピアノをおさらいしながら、
日を過ごす。
読書代行も変わらず入ってくる。面白いもんだ。
今年は、70冊くらい受注したんじゃなかろうか。
締め切り厳守で読んで書いてきた。感謝のメールはやっぱり嬉しい。
いろんな人になって書くのも楽しい。
女子大生になって書いたり、40代のサラリーマンになったり、
20代の公務員になったり。おかげでどんな文体も楽に書けるようになった。
タイピングがもっと早くならんかな、とあらためて練習を始めた。
ソフトは、「名探偵コナン」だ。
健さんが敵地に向かう。しゅっとした池部良がよりそう。
抜き身の白刃。雪に着流し。背中に唐獅子。唐獅子牡丹。
一緒に口ずさむ。
それにしてもいろんなことが頭の中でわいわいやってるなあ。