否応なしに年末か
2011年12月20日 22:16:13
年末や年始、そういう時間的な区切りを気にしないようにしているけれど、
否もおうもない「世間」の力にどうしても引き流される。
流すなー! 俺を流すなー、と毎日踏ん張ってもこの時期、どうしても年末なんだ。
12月の次が13月でも一向に構わないのに、この驚異的な時間システム!
とはいえ、この12か月という区切りはなかなか良くできている、とも思う。
総括したり、感慨を持ったりするのにちょうどいい。
12か月より長ければ或いは忘れていることも多いだろうし、
短ければ、総括するに時間が足らなかったりもする。
なるほど、今年も強制年末。幾つかの舞台を創った。
たくさんの本を読んだ。なるべく一人でいようとした。
12か月か。何本の映画を観ただろう。何本の舞台を観ただろう。
いくつの美術館に足を運んだだろう。ライブやコンサートにどれだけ行ったか。
演劇の舞台は、多分30本くらいを観た。
そのほとんどが小劇場だ。ぼくが創る舞台もその小劇場に含まれる。
他は、能舞台だったり、商業的な大舞台だったり、歌舞伎やミュージカル。
さて、小劇場。
ぼくが育ち、今も戦っている小劇場。
「小劇場」という言葉の是非はさておき、小劇場と言われる舞台。
30本近く足を運んだ。
その全ての舞台が、約束された「定刻」に始まらなかった。
それは、大きな問題じゃないのか?
チラシやウェブサイトに、定刻時間が明記してある。
開演19時、とか。
30本近く観た舞台の全てが、開演時刻を明記していた。
明記していたにも関わらず、その時間に始まらなかった。
開演時刻になったら、制作担当の方などが客席を向いて、
「ご予約を頂いているお客様がまだ数名いらしていないので、
もう少しお待ちください」と。
おかしくはないか。
時間を守り、ちゃんとその時間に間に合うように行った他の観客の立場はどうなる。
約束を守った人が、数名の約束を破った人に合わせなければならないのか。
小劇場、というフィールドには、昔から開演時間を守らないという悪しき風習がある。
「五分押し」
という言葉がある。開演を5分遅らせる、ということだ。
それが当たり前のように言われ、実行される。
チケット収入をその唯一の収入とする小劇場において、
観客の入りは大きな問題だ。それは、ぼくも身をもって知っている。
それでも、だ。
当たり前のように開演時刻を遅らせることのどこに正義があるのか。
時間を守り、開演を待っている観客の立場や気持ちはどうなんだ。
そのことに主催者は責任を持つことができるのか。
開演時刻を決めるのはなぜか。
不測の事態もあるだろう。
最寄駅への列車ダイヤの乱れや、悪天候による交通の乱れ、
或いは大地震による社会の動乱、また或いは国家権力による妨害。
開演を遅らせようかな、と決断させる幾多の要件は常に用意されている。
だが、だからといって、その要件に合わせて開演時刻を自由にできるのか。
ダイヤの乱れの場合は、どの時点で開演をするのか。
悪天候の場合は、どの時点で開演するのか。
それらの人為的な決定が非常に困難な事例が常に用意されているから、
開演時刻を決定しているのではないか。
その約束を主催者が守ることができなければ、
観客はどうすればいいのか。何を信じればいいのか。
小劇場、いまだにどこでも、当たり前のように、「押す」
この一年、押さずに定刻に始まった舞台は皆無に近かった。
4年間、劇団再生という劇団で舞台を上演してきたが、
開演時刻だけは、厳守した。それだけが観客に対する心からの御礼だと思っていた。
約束を守ってくれてありがとうございます。
ぼくたちも命がけで約束は守ります。そう思ってきた。
ぼくの舞台は、これからもそうだ。必ずその約束は守る。
12か月。その一まとまりの時間の中でたくさんの舞台を観た。
それらの舞台を観た感想が、唯一、それだ。
開演時刻を守れない舞台をぼくは、軽蔑する。
来年もたくさんの舞台を観に行くだろう。
観に行くが、開演時刻になって始まらなければ、席を立とう、と思っている。
というか、そう決めた。今。
友達が出演している舞台でも、義理ある方の舞台でも、
恩ある方の舞台でも、大先輩の舞台でも、だ。
決められた開演時刻になって始まらなければ、席を立つ。劇場を出る。
そこで金を返せとは、言わない。
お金を払って、席を立つ。劇場を出たら、どこかで上演時間だけ本を読もう。
それが、来年のぼくの観劇だ。それでいい。
そうしなければならない。
席を立って劇場を後にすることで、気を悪くされる方もいるだろう。
これまで長い時間をかけて培った相互の信頼関係もそれで終わるかもしれない。
友情関係も終わるかもしれない。
バカみたい、と陰口をたたかれて終わるだけかもしれない。
それでも、仕方ない。そうするしかないんだ。
開演時間を守るということは、絶対に正しいことのはずだ。
ぼくが席を立つという行為は、バカらしく、愚かなことかもしれない。
それでもそうしなければならない。
なぜなら、ぼくが、今、その舞台上演、というフィールドで戦っているからだ。
ぼくのフィールドなんだ。その土俵を愚弄されてたまるか。
一人での反抗。
なんの結果も残せない行為かもしれないけど、仕方ない。
イラついてしょうがないんだ。開演時間を守れない舞台をぼくは信用しない。
作品の出来や内容に関わらず、それとは別の次元で信用しない。
さて、来年は何本の舞台を観ることができるだろうか。