劇的読書会で『ソクラテスの弁明』を読んでいる
2012年1月16日 23:03:58
毎月一回、第三月曜日の夜に開催される『劇的読書会』。
現在のテキストは、『ソクラテスの弁明』。
その本に最初に出会ったのは、中学生の頃。
なんか難しそうな本を読むのがかっこいいと自分で思っていたりした時期だ。
勘違いも甚だしいが、まあ、そんな時期もあるだろう。
その頃読んだのは、正確に覚えていないが、多分、岩波版だったのだろう。
中学生で読んで、理解したかどうかは、疑わしい。
多分、何もわからずに読むだけ読んだのだろうな。
読み直したのは、上京してから。20代の前半かな。
その時には、案外強い衝撃を受けたのを覚えている。
衝撃を受けて、プラトンを読みあさり、ヘーゲルやキェルケゴールに走った。
読書会でみなでそれを読んでいる。
読みながら、やっぱりあの頃に強い衝撃と影響を受けたんだなと思った。
考え方のベース、判断の基礎、対話の方法、ロジックの構築、
そんなことごとは、ソクラテスやプラトンから学んだ気がした。
今月読んだ箇所は、まさに影響を受けた個所だ。
ソクラテスの言葉。強い信念。それを実行できているかどうか、
それは自分ではわからないけど、ソクラテスをかっこいいな、と思ったりもする。
かっこいい。
案外それがぼくの一番の判断基準だったりする。
かっこいい。
そのために身を棄てて勝負すべきだと思ったりする。
かっこいい。
それが、ぼくの世界を測る価値基準かもしれない。
来月で、『ソクラテスの弁明』が終わる。
3月からは、『「いき」の構造』 (岩波文庫)
楽しみな本だ。
それにしても、こんなに体は溶けていくものか。
力が入らん。体の表面にも、奥底にも。目が開かん。焦点が合わん。
目を閉じよう。
眠るに限る。明日、早く起きればいいんだ。追いつける。
今、この疲労に負けて眠ることは、きっとかっこ悪いことではない。
眠ることが、かっこいいんだ。