気が付いたら、そればかり考えている

2012年2月6日 00:01:49

演劇、という語に違和感を覚え続けてきた。
どう言えば、ぼくのそれに一番しっくりくるかな、と。
舞台、芝居、表現、芸術、エンターテイメント、見世物・・・
どれもこれも違う。
25年ほど前は、ぼくという発信者側からのみ考えていた。
それは、やっぱり年齢だったんだろう。若気のなんとかだ。
15年ほど前から、それの構造的な側面から考え始めた。
劇場、スタッフ、換金性、それが成立するための必要条件・・・
そして、5年ほど前から、観客という視点から考え始めた。

結論は、出ていない。その語は、今、見出せないでいる。
そんな現在、一番ぴったりくるのは、

「あれ」とか、「それ」とか、だ。

誰かに紹介されるときに、

『こちら、「あれ」をやってる高木君です』と言われれば
案外すっきりする。

自己紹介の時でも、

『今度、「あれ」をやるんですよ』と言いたい。

しかし、一般的な回路で想像するに、それじゃいくらなんでも通じないだろう。

だから前々から言ってるんだ!
演劇なんて言葉をまかり通らせたから、それは失墜したんだ。
前から言ってるじゃないか。
あれは、一人じゃないとできないんだ。
総合芸術なんてどこのどいつが言い出したんだ。
みんなで創ると誰が熱くなってんだ。
群れて群れて群れて、仲良しコミュニティ安全地帯ぬくぬくごっこ。

それは、一人でしか創ることはできないんだって。

そんなことを考えていた。
気が付くとそればかり考えている。
そしてら今日、意外に近い語が提案された。

ぼくの提案じゃない。話していた相手からの提案だ。
その語は、意外にぴったりしていた。

案外いけるかもしれないと思ってるから、ここでは、書かない。
ここで書いたら、また同じことが繰り返される可能性がある。
舞台だの、演劇だの、芝居だの、劇だの、芸術だの、と

その語が安売りされる。
やなこった。
もう群れたくないんだ。もう二度と群れたくないんだ。
勘違いしないで欲しいのだが、
群れる、は、個体の人数の話では決してない。

もう一度宣言しておく。
それは、一人でしか、創ることはできない。