チラシに「開演時間」と表記してあるけれども、ありゃ一体何なんだ?
2012年4月29日 23:11:08
「えんげき」や「しばい」というものを観に行くと
必ずと言っていいほど、チラシの束が配布される。
その劇場で、あるいは、他の劇場で行われる予定の告知チラシだ。
ポストをのぞくと封書やハガキでそんな告知チラシやDMが届いている。
あちこちの劇場やカフェや野外やホールで行われる告知だ。
東京は凄いなあ、と思う。
一体どれだけの団体がそんな企画を実行にうつしているんだろう。
何団体あるんだろう。
その総エネルギー量は相当なものだろう。
手元にあるチラシを見るだけで、そのエネルギーに恐れ入る。
ぼくが創り、発表する作品も、そんなたくさんの企画の中の一つだ。
企画の海に浮かぶ何かだ。
チラシを眺める。
チラシというものが、一つの作品の場にもなっている。
チラシやポスターだけを展示する企画もあるくらいだ。
まあ、そんなことはどうでもいい。
問題は、だ。そのチラシに印字されている「開演時間」だ。
開演時間、とか、スタート、とか、開演、とか、表記の仕方はいろいろだ。
時間、なので、時間が、印字されている。
19時30分、とか、
14時、とか、
また或いは、表があり、●印や★印で、それを表記しているものもある。
はっきりと、時間が、印字されている。
そこに誤解や曖昧のつけいるすきはない。
例えば、19時30分開演、開場は、開演の30分前です。
と書かれていれば、
「なるほど。19時には客席に入れるんだな。
そして、19時30分に「何か」が始まるんだな」
と、ぼくなら、思う。
他の人はどうだかは知らない。
そう印字されているので、それを信じ、そう思う。
19時30分開演、と印字されていて、18時から始まる、とは思わない。
20時に行っても大丈夫だろう、とも思わない。
その時間に間に合いそうになければ、はなから行かない。
19時30分開演、なら、19時30分に開演する、とぼくは思う。
けれども、
始まらん。
驚くほど、始まらん。
まったくもって始まらん。
19時30分という開演時刻が近づくと、
主催者だか、企画者だか、演出家だか、制作主任だか、
(大体名乗りもしないので、属性や責任所在がはっきりせんが)
が、客席の前に出てきて、
「もう少々お待ちください」とか、
「予約をいただいているお客様がまだお見えにならないので、
いましばらくお待ちください」とか、
「間もなく始まります、少しお待ちください」とか、
言う。言うのだ。確かに、言うのだ。
ぼくは、チラシに書かれている時間を守ろうと、
間に合うように計画し、間に合うように行動し、そこにいる。
ぼくも、「予約をしたお客様」だ。
ぼくは、そこにいるのに、まだ来ていない「予約されたお客様」はそこにいない。
そして、
同じ「予約されたお客様」なのに、
何の理由か、開演時間に遅れている数人を待たされている。
身分を名乗りもしない誰かの一言で半ば強制的に待たされる。
たった数分?
その数分の価値を知らんのか。
待たされるのだ。
遅れてきた「予約をしたお客様」は、遅れてきて、
待っている他の「予約をしたお客様」に一言もなく、席につく。
お前を待つことによって、
ぼくの「たった数分」が奪われたんだな。
さて、どこが、問題でしょう?
時間通りに行った大半の観客が正直者バカ理論で問題なのか。
何らかの理由で遅れてきた数名の観客が問題なのか。
約束された開演時間を「遅らせる」という決断をした誰かが問題なのか。
どこに問題があるのか。
まあ、そんな書き方をしなくても明らかだ。
「えんげき」や「しばい」に関わる全関係者は、どこをベースに
「それ」を創り、発表しているのか。
ぼくは、そんな「発表」を軽蔑する。
時間を守る、という基本的なことができない「発表」を軽蔑する。
「作品」の良し悪しは、別問題だ。
その団体を、その企画者を、その全体を、軽蔑する。
約束の時間を守る大半の観客の皆さま、
そして、約束の時間に間に合わなかったのは、
自分の責任だとする遅れてくる観客のみなさま、
『5分押し』と、彼らは言うのです。
人知れず、観客の見えない裏で、こっそりと、言うのです。
『5分押し』と。
開演時間を観客の了解なく「5分遅らせましょう」と。
それを決断するのは、代表者であったり、制作主任であったりする。
それを伝えられた全スタッフは、「諾」とするしかないのだろう。
たった5分だから、と思っているのかもしれない。
ならば、だ。
何分なら良くて、何分ならダメなのか。
あんたがたの5分押しは、1時間押しも許容している。
他人の時間を了解なく奪い去る所業。
それは、殺人行為すら意味する。
1時間が許され、1年が許され、10年が許され、と。
他人の未来の時間を奪う行為を考えてみろ。
「殺人」とまったく同じ構図じゃないか。
あの、こりに凝った告知チラシに印字されている時間は、何なのか。
観客の大半も、「そのくらいまあ、いいんじゃない」と思っているのかもしれない。
ぎゃーぎゃーと騒いでいるのはぼく一人かもしれない。
そんなことくらいで目くじらたてないでよ、高木君。
と、大先輩の声も聞こえてきそうだ。
時間を守る、それも、だ。自分が、自分たちが、「決めた」時間だ。
それができないような「えんげき」や「しばい」の何を観ろというのか。
そこから、何を感じろと言うのか。
何を伝えようとするのか。
俺には、わからん。
まったくわからん。
わからんのだから、知りたい。
知りたいから、聞いてみたりもした。
もう20年も待ってみたりもした。
わからんのだ。
知るために、行動する。
そうするしか方法はないんだな、と思っている。
いろんな「行動」が考えられるが、さて。
これを読んでいる演劇関係者のみなさん。
開演時間に始まらなかったら、ぼくは席を立ち劇場をあとにします。
チケット代を返せとは言いません。
「高木はぎゃーぎゃーうるせーな」と感じている先輩方、
その企画で開演時間が遅れそうなら、案内を頂かなくてもいいです。
観たい作品だと思うなら、自分で探して観に行きます。
ぼくが席を立ち、気分を害された方、先輩、同輩、
きちんと話しましょう。あなたには、その責任があります。
話しましょう。
何が問題なのか。
その話した内容は、きちんと公開しましょう。「作品」のために。
だって、あなた方も、
『5分押し』は、「決していいことではない」と思っているでしょ!
むしろ、「良くないこと」だと思っているでしょ!
きちんと話してみませんか。