悪意の上に構築され、悪意によって作動される機関こそが、世界を照準しうるのだ

2012年6月14日 22:16:39

ということは、一日考え続けていた。

世界の全ての現象を悪意によって説明しようとしたら、
簡単にできた。
なるほど。そこは、常に現実よりも一段高い場所だ。
高い本性という言い方が近いかもしれない。

悪意の知的性、悪意の知性、悪意の行動力、悪意の結果、

それは、「世間」というあなたには、認めがたいかもしれない。
それを、考えていた。
認められることと、真に世界と対峙すること。
自分を、例えばゴッホと比する訳ではないが、ゴッホの視点は、悪意だ。
自分を、ワグナーと比する訳ではないが、ワグナーの視点は、悪意だ。

そんな視点を想像することはできる、が、それを持つことはできるだろうか。
もちろん、モラルや道徳や社会通念や社会性という善意が邪魔をする。
善意がまかり通る世の中だからこそのひずみにようやく気が付いた。

こんな話を、誰かと話したい。
一対一で話したい。そうすれば、もっと具体的に「持つ」ことができるのに。

話し相手がほしい、と、こんな時は思ったりもする。