ナーガールジュナを読んで
2012年7月1日 23:55:17
オウム真理教のこと、
キリストの復活のこと、
玄奘三蔵のこと、
十戒のこと、
公明党のこと、
日蓮宗の坊主になったいとこのこと、
日の丸不起立問題のこと、
北一輝とぼくの死んだじいちゃんのこと、
そんなことを思い、考えていた。
宗教だの、宗教心だの・・・
いや、これは、否定的な感情からの文章では、決してない。
だからと言って、賛美肯定の言でもない。
ナーガールジュナを読みながら、彼の顔を思い描いてみようとした。
いろんな顔がフラッシュする。
キリスト、夏目雅子、麻原彰晃、映画のモーセ、なぜかゴッホ・・・
どこかに共通点があるとも思えないが、
なぜか、そんな彼らの顔が浮かんでは消え、浮かんでは去った。
久しぶりに深い泥沼のような思考に触れた。
これが読書のクロスロード。
次の巻は、ヴァスバンドウ。
ナーガールジュナの泥沼に足を取られたまま、
もっと深い深間に引きずり込まれそうだ。
宗教か。
まったく、稽古開始のこんな時期に足を取られるなんて・・・
考え続け、思い続けているから、発熱しているのか、
それとも、この機関のどこかに不具合が発生しているのか。
燃料はまだあるはずだ。
オイル交換も定期的にやっている。
点火プラグの点検・清掃もやっている。
足回りのチェックも怠りない。
少し点火タイミングにずれがある感じがする。
それは、明日にでも調整しよう。
この肉体。調整に調整を重ね、点検と修理を重ねている。
アクセルを開ければ、燃料が送られ、爆発し、ピストンが高速で上下する。
ピストンの運動は回転エネルギーに変えられ、ぼくは走る。
照準機関。
まだまだ走れる。
なのに、こんな時期に、そんな本に出会うなんて。
燃料がなくなるまで、考えてみるか。
燃料がなくなれば、機関も冷えて、熱も下がるだろう。