自覚と無自覚の間で

2012年7月7日 23:40:34

悪意こそが構造性の細部を司り、いくつもの巨大な概念を一跨ぎし、
悪意こそが再現性の全てを否定し、観念という観念を凌駕する。

ということを考えていた。
なんてことはない。
正しいと思うことを実行しうるのは、正しいと思った本人しかいないんだな。

正しさを強要するのは、きっと暴力なんだろう。
それじゃ、どんな小さな不正も正されることはないじゃないか。
きっとそれでいいんだろ。それが楽なんだろうな。それが正しいんだろうな。

口を閉じるしかないのか。
信念や理想があるだけじゃ何も変わらない。
行動することだけが、「変える」「変わる」ことへの一歩だと信じていたが。

それが何であれ、大上段に振りかざすことはきっと暴力なんだろう。
暴力は無思考に否定される世の中だ。
暴力は絶対の悪にされる世の中だ。

本当のことなんか書けやしない。こんなところに。もう二度と。
書かないし、話すことも、この先二度と無いだろう。
狂わねば人は斬れないのか。
とはいえ、それがどんな正当性や正しさや理想があっても、
狂って斬ったら、きっと何も変わらない。
狂うしかないのに、狂えない。
狂えないのに、狂うしかない。

いつか、ここに扉は見えるのだろうか。

そしたら、誰かに話すこともできるかもしれない。
そしたら、また演劇をやってみようかとおもうかもしれない。