ぼくは一体何語を話しているのだろうか
2012年8月12日 23:57:40
ここにあるのは、宙づりにされた感受性。
じわりじわりとその首が絞められていく。
もう叫ぶこともできない。
ぼくは、言葉という語をいつも限界という意味で使用している。
いくつもの(正確には4本の)作品が完成している。
脚本を書き、日程だのあれやこれを具体化し、俳優を募集し、稽古をするだけ。
それらの画は、ここよりも高い場所に、ある。
君は想像できるか。感受性が殺されゆく様を。
存在がそれ以上高まることのない不可避の凝縮点。
高度千メートル。脅威の場所。舞台。作品の中で生まれ作品の中で死ぬ。
そうだ。君たちは、「死」という語を軽々しく使いすぎる。
ぼくは、言葉という語をいつも限界という意味で使用している。
作品の中で「本当に生まれ」「本当に死ぬ」ことを君たちは知らない。
その言葉だけを耳で聞かされ、わかったような気になり、自分もそれを吐く。
本当に生まれるのだ。本当に死ぬのだ。
ぼくは時代と世界を正確に照準する。言葉をもって照準する。