さて、幕があいた
2012年8月17日 00:46:25
劇場にいて、嬉しい自分がいた。
照明さんや舞台さんや音響さんの、その仕事に目をみはる。
「怒涛の一日」という言葉が飛び交った。
確かにそうだな、と思う反面、もっと行ける、と感じた自分もいた。
もっと行ける、とは、こんなことが「怒涛」であってたまるか、
という、どうしても「果て」を「限界」を見たがるぼくの性質か。
もしかしたら、その「果て」や「限界」に挑むことの歓喜に対して、
反意をもった人もいるのかもしれない、とも思うが。
それはそれ。ぼくの時間と「君たち」の時間は違うのだ。
その違う時間を埋めるのは、5次元という観察と観念。
そこに、俳優がいる。
そこに、照明さんがいる。
そこに、舞台さんがいる。
そこに、音響さんがいる。
そこに、制作さんがいる。
そこに、劇場がいる。
そこに、劇場さんがいる。
そこに、カメラがビデオが一本の紐が、そこに平台が函馬が座布団が、そこにアンプがユニットがマイクが、そこに化粧品が水が、そこに一筋の光が、そこに一曲の音楽が、そこに、
君の呼吸が、
ぼくの呼吸が、
ここに、ぼくがいる。
その間を埋める5次元という観念。
明日があるとすれば、
明後日があるとすれば、
またその次の日があるとすれば、
きっと、誰もが5次元を始めて観察するだろう。