NOW WHAT?
2012年9月5日 17:32:21
上の写真と、これから書くことには、特に関係はない。
死は、
それを待ち望む者のもとにも、待ち望まない者のもとにも訪れるのだろう。
ぼくは、演劇者たちとは話したくないし、彼らを見たいとも思わない。
さらに言えば、その声すら聞きたくない。
もっともおぞましいのは彼らと一緒に酒を飲むことだ。
だがなぜだか彼らは飲みたがる。
そして、演劇者たちは自分のありとあらゆることをそのテーブルに広げ、
泣き言を言ったり、突然威張ったり、笑いだしたり、その惨めさをさらけ出す。
酒を飲むテーブルには、酒と少しのつまみだけを広げるべきだ。
そんな彼らの事を考えるよりも、死について考えたい。
それは、比較にならないほど楽しいのだ。
I don’t know about other people,
But when I bend over to put on my shoes in the morning I think,
Christ almighty, NOW WHAT?
みんな自分の死をありがたがることもなく、知らん顔している。
どうでもいいと思っているのだ。
死は打算なのだ。死は計算なのだ。死は損得なのだ。
だから、
あんたらの生活は、打算だらけで、計算だらけで、損得だらけなのだ。小さな人びと。
頭を使うのは、毎月の給料日と、誰かとセックスすることと、
なんだか知らないが美味しいものを食べたり、美味しくないものに騙されないようにするだけだ。
小さな人びと。それしかない。あんたらの心の中には、壊れた計算機だけがあるんだ。
ぼくは、気が触れてはいないが、正気というわけでもない。
正気というわけではないが、心の中には、ありあまる夜を抱えている。
小さな人びと。ぼくに構うな。
小さな人びと。声をかけるな。
何をしているわけでもないのに、欲しがる人びと。
いつものように、こうしてコーヒーを淹れる。
一本のタバコをつける。
Then I told to THE WORD,
“After I drink this one, we’ll go out back and duke it out”