昨日書いたこと

2012年10月3日 22:40:57

昨日、言語活動ということについて書いた。

何が言いたいかって、
言語活動は、一人でぎゃーぎゃー言い続けている開演時間の謎を解く鍵ってこと。

開演時間の謎のことを書くと、この高木ごっこを読んでくださっている方から、
メールを頂いたりする。

いただくメールの全ては、「お客さん」という立場の方々だ。
みなさん、「そうだ!」とおっしゃる。
客の立場から、「開演時間は守ってほしい」とおっしゃる。
これまでに頂いたメールは、10数通。
その10数人の方々の思いが、全ての観客の意見を代表しているとは言わない。
サンプルとしてもあまりにも少ない数だ。
でも、

でも、開演時間を守って欲しいと感じているお客さんも確かにいるのだ。
お客さんは、この高木ごっこを読んで、メールをくれる。
企画者・制作者・演劇人などからは、まったく反響がない。

開演時間を守ることが絶対の正義だとは言わない。
開演時間を守ることの論理が正論だとは言わない。
正義だから、正論だから、とそれを振りかざしはしない。
開演時間を守らない、或いは守れないあなた方の意見を聞きたいんだ。

まずはそこからだと思っているのだが、声が聞こえない。
声が聞こえないまま、お客さんの数分という時間が盗まれていく。
お客さんから、お代をいただき、作品を創り発表しているというのに、
そのお客さんの時間を一方的に奪っている。

「五分押し」

その決定を下しているのは誰ですか。
「五分押し」に対して、観客の総意が得られれば、「五分」押してもいいと思う。
(個人的には釈然としないが・・・)
何らかの理由で、開演時間を押したいのであれば、

その時間に観客席に座っているお客さんに、聞くべきなのではないのですか。
聞いて、お客さんの、いいよ、って答えを待って、押すべきではないのですか。

話にならん! とは、そのこと。
作品の発表、劇場、芸術、演劇、創作者、そこに、何の特権もない。

劇場で何かをやることに対して、自分が偉くなったとでも思っているのか。

勘違いすんじゃねぇ!

と、ぼくは、言語活動について今日も考えているのです。