埴谷雄高『死霊』、、、全く別のことをしていたのだが、あっ! と思ったその時には、その一節が頭を占領していた。
2012年10月10日 23:11:59
今、こうして普通に売られている『死霊』と、
『近代文学』に発表された当時のものは、あちこち、違う。
全集に収録する時だったか、定本という形で、埴谷雄高が手を入れ、今にいたる。
あっ! と思った時には、この頭を占領していたという一節は、
『近代文学』版だ。
あの・・・与志さんの恒星は、どうしているのでしょう?
その場に、とまっています。
泣いているその場に・・・?
そう。
それは、何処・・・?
その自身のなかに・・・。
笑っている赤ちゃんは・・・?
やはり、その場に・・・。
微笑んでいる無心のなかに・・・?
そう。
その二つは違っている・・・?
そう・・・。
それは・・・どんなふうにですの?
一つの上に他が重なって・・・。
というのは、どんなふう・・・?
そこには、二つの意味が重なってるんです。
それは・・・どんなふうに違ってるんですの? 与志さん。
似たかたちで、しかも違っている。
それは・・・どんなふうに・・・?
永遠と死・・・。
永遠と死・・・?
そう。
そして、無心な赤ちゃんは、永遠にとまっている・・・?
そう。
それから?
その相手もとまっている。
そして・・・与志さんの恒星は・・・?
それは、やがて、泣きやむでしょう。
何時・・・?
果てもない最後に・・・。
それは・・・こちらも泣きやまして・・・?
そう。
どんなふうにしてなのですか?
自身でなくなったふうにして・・・。(埴谷雄高による傍点あり)
それは・・・その相手をも?
そう。
ああ・・・。
定本版では、かなり短く校正されている。
どっちが好みかは、それぞれだろうが、くどいほどの冗長性は、
埴谷雄高の特質の一つであり、味わいだろうと、ぼくは思うのだが。
それはそれとして、頭を占領してるんだ。
これらの言葉が。
んー
なんか意味があるのか?