無限大のあちら

2012年11月1日 21:15:37

無限大のあちら

とは、埴谷雄高『死霊』に出てくる印象的な言葉。
『死霊』は何度か読んだけれども、読むたびに「んー」と考えてしまう一言。

それに続くのは、

人間的な何物も嘗てなかったところ
人間の匂いのいまだ及ばなかったところ
存在が存在たり得なくなった無限の涯の地点

と、首猛夫の追及に黒川健吉が答えていく。
なんとも抽象的な説明で、何となく雰囲気や空気感はわかるけれども、
これまで得心したことはなかった。

無限大のあちら

今日、(ああ、そうか)とぼんやりと落ちてきた。
日がな一日天井を眺めながら、右翼的思想の本を読んでいた。
農本主義、老荘会、天皇、新右翼、運動、そんなキーワードの並ぶ本。
腕が疲れて、ばたりと本を置いた。
そのまま天井を眺める。

その本に、「無限大」だの「あちら」だの「無限」だのという言葉があったわけではない。
何が契機になったかは、わからない。

あっ

と、声が出た。

ああ、なるほど、そういうことか、と、得心。
生きるってこともまんざらじゃない。

笑った。

無限小、こちら、小さき人、それらが、バカらしく、
(と言っても、決して馬鹿にしているわけではない、念のため)

笑った。

ああ、そうか、なるほど。
埴谷雄高さん、言い得て妙。もうすぐ追いつきますよ。
追いつきますよ、必ず。こっちは生きてんだ!