ぼくは遠吠える

2012年11月13日 00:44:24

さて、こないだ書いた声に関する一考察の続きと言えば続きだが、
こないだの文章あるいは、結末からは、かなりの隔たりがある。
大論点としては、同じ場所に立脚しているが。

声なのだ、声。
声とは、一体何か。

ということが、そもそもなのだ。
声を道具とする人々は、もちろん声についていろいろ考え、
それなりの答えを用意しているだろう。

さて、声。
声とは何か。

声は、能動的な聴覚だ、というのはどうだ。
声の中で意味は、自らの内部へ立ち戻る、というのはどうだ。

立ち戻る、だ。

戻るという時点で、それは、否定的な自己ではないか。
否定的な欲求ではないか。
それは、自身のうちにおける実体の喪失ではないか。
となると、
声を発することによって、
発語者は、自らを廃棄しているのだ。

さあ、どうだ。
それぞれの仮説には、もちろん一つ一つ論考することができる。
できるが、ここに書くのはめんどくさい。

一対一なら、それぞれの言葉を選択して説明することもできるだろうが。

ということで、今日のタイトル。

ぼくは遠吠える、なのだ。